島で見つけたのは、国内最大級のコーヒー農園
沖永良部島(おきのえらぶじま)は沖縄本島から北へ約60km。奄美群島の南西部に位置する、人口約13000人の島だ。
平坦な島は、48%が農地。農業産出額は奄美群島の約3分の1を占める。農業を仕事とする人の割合も、30%と高い。基幹作物はサトウキビ。花卉、野菜、葉たばこ、果実の栽培も盛んだ。
沖永良部島でコーヒー栽培に挑んだ人がいる。13年かけて100本の苗木を2000本まで増やし、年間1トンの安定した収穫を実現した農園主がいる。実績の乏しかった国内でのコーヒー栽培。日照、施肥、台風対策、収穫してからの鮮度管理。全てが試行錯誤の連続だった。
収穫期には、コーヒーチェリーと呼ばれる赤い実がたわわに揺れる沖永良部島。困難を、愛と信念で乗り越えた農園主の取り組みを追った。
契機は自身が経営する地産地消がテーマの飲食店
「鹿児島県産の食材にこだわった料理を提供しているのに、コーヒーだけが外国産。納得がいかなかったのです」。そう語るのは、沖永良部島の1haの農地で約2000本のコーヒーの木を栽培している国産コーヒー専門家・東さつきさん(50)だ。
東さんは沖永良部島生まれ。名古屋市立栄養専門学院への進学を機に本土に渡り、栄養士の資格を取得した。外資系薬品メーカーに勤務後、地産地消をテーマに掲げた飲食店をオープンさせることを決意。
高齢の両親が住む沖永良部島への帰省を考え、鹿児島空港近くの霧島市に店舗を確保した。島での起業も考えたが、外資系企業で学んだマーケティングや商品開発のノウハウを島外で試したいという意欲に燃えていた。
「食材が豊富な鹿児島県。地産地消の料理のメニューは豊富に準備することが出来たのですが、食後のコーヒーだけが輸入品。納得がいかず、古里である沖永良部島でコーヒーを栽培することはできないかと考えたのです。父が農協の営農指導員をしていたこともあり農業には親しみもありました。『何とかなるだろう』と軽い気持ちで島に帰省したのです。2008年の春でした」
国内でも栽培実績が乏しいコーヒー。沖永良部島でコーヒーを栽培している人はいなかった。しかし、東さんには望みがあった。北海道で栽培されていたジャガイモを、沖永良部島での大規模栽培を実現させた農協職員の父の背中を見ていたからだ。
「父に相談したところ、開口一番『馬鹿なこと考えるな!』と叱られました。農業の厳しさを知っている父の言葉には力がありました。やはり無理なのかと半ば諦めかけていた時です。父が庭先で私に声をかけました。『さつき、やるなら投げ出すなよ。島でもコーヒーは栽培出来るだろう。しかし、私には栽培のノウハウが無い。高齢で畑の世話をする体力もない。農業は甘くないが、収穫した時の喜びを娘に伝えたい気持ちもある。いいかい、土と話をしなさい。植えた木の声を聞きなさい。そして、感謝の気持ちを込めなさい』。私は涙をこらえて父の手を握りました。父は私のコーヒー栽培に同意してくれたのです」
やるなら、やる。まず、動く。
父親の政次さん(故人)の励ましを受け、東さんは動き始めた。すぐに国内の種苗メーカーからコーヒーの苗(アラビカ種)を100本購入。フェリーで島に運び込んだ。2008年5月のことだ。
「まず、水の問題に直面しました。沖永良部島では農作物と認定されていないコーヒー栽培には、パイプラインで水を引く『畑地かんがい設備』を使うことが出来ないのです。何度も関係各所に相談しましたが、認められませんでした」
軽トラックにポリタンクを積み込み農園と水場を何度も往復。何とか100本の植え付けを終えることが出来た。
「苗を見た時、期待と不安で頭が一杯になった事を覚えています。女手一つでやり切った充実感はあったのですが、やはり台風が心配でした。被害の大きい年には、電柱も倒れてしまうほどの暴風が吹き荒れる沖永良部島。私には祈ることしか出来ませんでした」
成長、開花、初収穫
幸い、強い台風が上陸しなかったこともあり、1年後には約1メートルの高さに成長。父から学んだ農業経営や果樹栽培の知識を、何とかコーヒー栽培に活かせないかと試行錯誤を続ける。霧島市にある店舗と沖永良部島を毎月往復し、成長を見届けた。
2年後の2010年の5月、初めてコーヒーの花が咲いた。8月には緑色の実がついたものの、成長が不十分。収穫には至らなかった。手応えを感じた東さんは、2018年から生育を妨げる雑草の除去や施肥といった日常の管理を島内の親戚や町内のシルバー人材センターに委託することを決めた。農園近くに住む鎌田輝仁さん(72)もその一人。
「良く頑張っているのはわかっていた。散歩の途中にコーヒーの純白の花を見た時には思わず足が止まった。ジャスミンにも似た優しい香りが私を包む。しかし、翌日になったら殆どが落花している。こりゃ、コーヒーの実を収穫するまでは手伝わなきゃと心に火が点きました。新しい事へのチャレンジにワクワクしたのを覚えています」と当時を振り返る。
栽培を始め3年が過ぎた2011年11月。東さんはようやく初収穫の日を迎えた。
「まず、母を農園に連れて行きました。しかし、感激もつかの間。収穫してからが大変でした。脱穀機の準備をしていなかったので、収穫した約30キロの生豆を手作業で剥き、外皮や果肉から種子(コーヒー豆)を取り出しました。乾燥機もありません。沖永良部島の天日で干しました」
翌年に備え、急遽コーヒー用の脱穀機をブラジルから輸入。国内に販売店は見つからなかった。
「2011年にようやく夢にまで見た『栽培~収穫~焙煎』までがつながりました。あの時に飲んだコーヒーの味と母の笑顔を私は忘れていません」
台風、塩害、大ピンチ。
2012年。農園は恐れていた台風の被害に見舞われる。4年の歳月をかけて育った木は、塩害により葉は緑色から茶褐色に変色。全ての葉が落ちた木もあった。
「絶望が頭を支配しました。台風の恐ろしさも十分認識していたのですが、言葉に出来ないほど苦しかった。涙を流しながら農園を歩いていると、まだ緑を残した葉が目に飛び込んで来たのです。『負けるな、まだやれる』と木々にも私自身にも声をかけながら再生に取り組みました。土には有機堆肥を施し、新芽を促すために剪定を続けました。木の手入れが終わると防風ネット設置のために、長さ3メートルの支柱を約200本打ち込みました。台風に負けてたまるか!と」
地面に1メートルの穴を掘り、支柱を立てかけて固定する。何とか200本の支柱にネットを張り終えた。剪定を終えた枝からは、緑の葉が次々と息を吹き返した。コーヒーの木は見事に復活。コーヒーへの愛情と執念が農園を復活へと導いた。
「支柱をハンマーで打ち込み続け、二の腕は逞しくなったものの、女性だけの力には限界も感じていました」と当時を振り返る東さん。「コーヒーの木は復活しましたが、台風に対する不安は頭から離れません。事業計画も見直さなければならないと弱気になっていました」
運命を変えた復旧作業での出会い
霧島市で、それまで静かに東さんの復旧作業について耳を傾けていた山下さんが、口を開いた。
「ちゃんと水平は取った?支柱が倒れたら被害が大きくなるよ。よし、沖永良部島なら行った事がある。休みを使って仲間と見に行く」
約束は果たされた。全員が無償のボランティア。土木作業用の機材を島に持ち込み、整地や穴開け、杭打ちを整然とこなしていく。
「神様が現われたかと思いました。レーザーを使って水平や垂直を割出して、正確に柱を建てて行く」
その後、2人は結婚。2014年、運営する飲食店を「caféノア」から「Noah Coffee(ノアコーヒー)」に改名。力強い協力者が現われ、「国産(沖永良部産)コーヒー」を前面に打ち出した経営にシフトした。
2016年には100キロを収穫。2017年=150キロ、2018年=300キロ、2019年=500キロ、ついに2020年には1トンの収穫を記録した。
「夫は霧島市で建設業を営みながらも、休日には沖永良部島に来て私の農園を支えてくれる。島ではコーヒーの木を日々見守ってくれている島の親戚やシルバー人材センターの皆さんがいる。今の農園があるのは皆さんの力があってこそ。感謝の気持ちは言葉になりません」
皮ごと焙煎、機能よし。無農薬・有機栽培の「トリゴネリン」パワー。
ノアコーヒーの農園は無農薬・有機栽培。肥料は堆肥に加え、鹿児島市の東酒造から譲渡された絞りかすを加えている。何事も手探りのコーヒー栽培。絞りかすを加えた肥料を与えた木は成長も早く、豆も大きく育っている。
コーヒーチェリーとも呼ばれる生豆の成分に注目していたのは、鹿児島大学農学部・食料生命科学科生分子機能学研究室の加治屋勝子講師(44)だ。
加治屋さんは2019年、桜島大根が血管改善作用をもたらす成分であるトリゴネリンを多量に含んでいることを突き止めた人物。研究結果はアメリカ化学会(ACS) から世界に向け発信されて注目を集めた。
「血管系疾患の予防に役立つ食材はないか?というのが研究の出発点。桜島大根以外にもトリゴネリンを豊富に含む農産物にコーヒーの実があることは海外の論文で把握していました。国内で本格的にコーヒーを栽培している農家が見当たらないので、実験に必要なサンプルを十分に集めることが出来ませんでした。同じ鹿児島県の沖永良部島に年間1トンの生豆を生産する方がいると知り、すぐに東さんにコンタクトしました。取り寄せたサンプルで機能分析を進めると、トリゴネリンが豊富に含まれていることがわかったのです」
「しかし、いくら血管に良い成分が含まれていても、手軽に摂取できなくては日々の生活に取り入れることができません。東さんが開発したコーヒー豆の『果実丸ごと焙煎』で出来た抽出液を分析し、連名で特許を出願しました。ポリフェノール類は市販品の1.3倍程度含まれ、抽出液にはトリゴネリンが通常焙煎の4倍~40倍程度残存しています。鹿児島県産の桜島大根やコーヒーが長寿社会を支えるパートナーになったら嬉しいですね」と笑顔を見せた。
外殻分離機の国産化 コーヒー収穫ツアーも開催
トリゴネリンを豊富に含む果肉を無駄にせず、風味との両立をはかる乾燥~焙煎方法も試行錯誤を重ねて完成させた。「国産コーヒーを果実丸ごと焙煎する方法」として2019年に特許出願。
同時期にコーヒー豆の果肉を効率的に除去する機械をハラダ精工(鹿児島市)と共に開発。2020年に「外殻分離装置」として特許を出願した。洗浄も同時に行う水洗式。農園の近くに設置しているので、収穫した実の鮮度が落ちることもない。
コーヒーの赤い果実の成分を余すところなく活用することが出来るのは、自社農園を持つノアコーヒーの強みだ。
実の分離工程を経て出来上がるのは、「豆のみ(通常のコーヒー)」「果実丸ごと(外皮含む)」「皮のみ」の3種。皮と豆の分離作業は障がい者就労支援施設が担う。根気が必要な地道な作業だが、東さんは完成度の高さに太鼓判を押す。「一粒のコーヒー豆に、皆さんの英知と夢が込められている。味と栄養成分の両立は、栄養士でもある私の夢」。見つめる先には、国産コーヒーの明日があった。
2021年11月には、第1回となる「コーヒー収穫ツアー」が開催された。コーヒー豆の収穫期(11~4月)に合わせ、「収穫~洗浄・分離~乾燥~焙煎~抽出(テイスティング)」までを余すところなく体験出来る内容が盛り込まれた。
ツアーには鹿児島県内から8人が参加した。沖永良部島内でのガイドとアテンドは一般社団法人おきのえらぶ観光協会が担った。事務局長の西温子さん(42)は「年間1トンのコーヒー豆を収穫する農園は、島の誇り。親しみやすいコーヒーは、国内外に沖永良部島の特産品の魅力を発信する力強さを秘めている。真摯な栽培と実直なモノづくりは沖永良部島産品の特徴。コーヒーから始まる可能性に期待したい」と力を込めた。
参加者からは「国内で収穫体験が出来るなんて、夢のようだった」「収穫時期を迎えた豆の見分け方を覚えた。熟した実の赤色と収穫した指先の感覚を忘れることはないだろう」といった声が上がった。
参加者自らが豆の焙煎を体験。豊かな香りが鼻腔をくすぐった。ネルドリップで「豆のみ」と「果実丸ごと」の2種類が抽出された。
口に含む。無農薬・有機栽培、国内産。「豆のみ」は、コーヒーは農産物なのだと実感する素直な味わい。鮮度を確実に感じる。「果実丸ごと」は、フルーティーな味わい。甘い香りが飲み干したカップの中でいつまでも続く。参加者から笑顔が溢れた。
沖永良部島で13年間、コーヒー栽培に奮闘し続けた東さん。栽培を始めたいという農家や、新規就労者へのノウハウ提供を惜しまない。
「ノウハウを提供していた事もあり、島内でのコーヒー栽培が軌道に乗っている方もいらっしゃいます。沖永良部島で『収穫~洗浄・分離~乾燥』までのラインを整えました。収穫後に実を腐敗させることなく、鮮度を保ったまま最終製品にまで加工することが出来る」
「様々な障害はあっても、知恵と力で乗り越えてきた。コーヒーは、夢。夢を支える力は愛。私はこれからもコーヒーと向き合い、沖永良部産のコーヒーで笑顔を届けたいですね」
島に夕暮れが迫る。茜色に染まった空にコーヒーの湯気が溶けていく。一口含んだコーヒーの味と香りが身体を包み込む。胸に迫る波の音。コーヒーチェリーがたわわに実ったコーヒー農園で頂いた一杯の味を、私は決して忘れない。愛に満ちた「島の味」を忘れることはないだろう。
編集・制作=南海日日新聞社
(C)南海日日新聞社