近代日本の資本主義の父と言われる渋沢栄一(1840〜1931年)の思想が、国内外から注目されている。著書「論語と算盤」で、ビジネスにおいて「倫理と利益」の両立を目指す「道徳経済合一説」という理念を掲げた。グローバル化が進む中、子孫の渋沢健氏が栄一の思想を現代日本に読み解いた。(編集部)

渋沢 健(しぶさわ けん)
シブサワ・アンド・カンパニー代表取締役。1983 年テキサス大卒業。外資系金融機関を経て、2001 年にシブサワ・アンド・カンパニーを創業、08 年にコモンズ投信を創業。渋沢栄一記念財団理事、経済同友会幹事など
幸福は「継続」しない
「その経営者一人がいかに大富豪になっても、そのために社会の多数が貧困に陥るようなことでは、その幸福は継続されない」(「論語と算盤」より)
現在、世界では資産ランクで上位1%の富裕層が、残る99%の人々を合わせたよりも多くの富を保有しています。グローバル社会の実態は所得格差の拡大だという声が上がり、トランプ現象、ブレグジット(英国の欧州連合離脱)など自国第一主義が世界中に強まっています。
ただ、民主主義国家で自国事情を優先することは当然です。グローバル社会の終焉と結論付けるのは早計といえます。むしろ現代のグローバル資本主義は、サステイナブル(持続的)かつインクルーシブ(包括的)でなければならないという原理原則の教訓を示しています。
「日本の資本主義の父」と言われる栄一の講演録である『論語と算盤』の初版が出版されたのは1916(大正5)年でした。明治維新により近代化を図った日本が急発展し、当時の先進国の仲間入りした時代です。
しかしながら、栄一は日本社会がそれまで築いた幸福や富の先行きに危惧していました。民間が、政府主導の方針や法令順守などだけに頼ることなく、自主的に論語(道徳)と算盤(経済)の両方を掲げる意識を高めなければ、幸福は「継続」しないと。
このような警告を鳴らした栄一が亡くなったのは1931年11月11日でした。2カ月前には満州事変が起こっていました。
「歴史は繰り返すことはないが、韻を踏む」。作家マーク・トウェインの名言です。
つまり、歴史にはリズム感があり、良いときもあれば悪いときもある。過去を知ることは、将来へ役立つという教えです。
約100年前の思想である栄一の「論語と算盤」が空前のブームとなっています。私が主宰している「論語と算盤」経営塾の第9期が想定した定員を大幅にオーバーし、今年5月から始まります。顧客との関係づくりを深めたい、所属の垣根を越えて同じ方向性を共有しているメンバー同士の意識を高めたいなど「論語と算盤」経営塾の活用に期待する多くの問い合わせもあります。
経営者は現在と未来つなぐ
関心は国内にとどまらず、3月下旬には栄一の思想について外国人学者らが数年間かけて研究した成果が英文の本として出版され、米ハーバード大ビジネススクールで「混迷の時代における幅広い利害関係者の資本主義」を考えるフォーラムも開催されました。
この時代に、栄一の思想の何かが世の中から求められているのでしょう。
栄一は、およそ500の会社および600ほどの教育・福祉など社会的事業の設立に関与することで日本の近代化に尽力した実業家でした。
「論語と算盤」(道徳経済合一説)は栄一のトレードマークですが、これは単に倫理的資本主義の教えではありません。「論語と算盤」とは、今の言葉で表現すれば、持続性(サステナビリティー)の要です。
算盤勘定ができなければ当然ながら持続性はありません。しかし、算盤だけ見つめて周囲に関心を向けなければ、つまずいてしまうかもしれません。
一方、論語読みにありがちな「商売やお金もうけなど卑しい行為に関心ない」という否定だけでは新しいことが何も始まらず、持続性は乏しいでしょう。
ただ、どのように「論語」と「算盤」という異なる概念を合わせるのか。「算盤か論語か、どちらかが先でしょう」と片付けてしまうのが一般的です。
一見、矛盾でも視点の角度を変える。押したり引いたりする。そのうちに、フィットする瞬間があるかもしれない。それはそれまで存在していなかったものの誕生につながります。
「論語と算盤」には、想像力により生み出される創造力を活用することが大切だといいます。その上で、経営者らには持続的な価値創造のために不可欠な「と」の力の必要性を訴えています。
経営者の仕事は、現在と未来をつなげることです。ただ、現在は確実である一方、未来は常に不確実です。そのような中、確実な現在「と」不確実な未来をつなげるという矛盾に耐えながら、応えることが経営者に求められている役目です。
経営者が一人で企業価値を高めることはできません。当然、社員は必要ですし、顧客、取引先、株主、社会などさまざまなステークホルダー(利害関係者)も必要です。各ステークホルダーはそれぞれ異なる要求を経営者に求めます。
顧客は販売価格を下げてほしい、社員は給料を上げてほしい、株主は株価を上げてほしいなど、立場によってさまざまな意見が出され、まさに矛盾だらけといえます。
重要な包括性という概念
しかし、その矛盾に対して、経営者はステークホルダーたちを切り捨てることはできません。それらの矛盾を上手にすり合わせる「と」の力で企業価値を創造していくのが経営者の仕事です。
「論語と算盤」が唱える「と」の力とは、まさに経営力そのものです。
そして、昨今の世の中の動きを見ると、持続性のためにはインクルージョン(包括性)という概念も重要であることを痛切に感じます。
ポピュリズム(大衆迎合政治)による一国主義が世界的に広まっている現象は、国家の超金融緩和政策に頼るだけでは経済社会の格差や分断を埋めることができなかったという現実を示しています。
また、安易に財政政策へのかじを大きく切ることは莫大な借金を未来世代に押し付けることになり、現世代の成長の「先食い」により、まだこの世に誕生していない未来世代との格差を広めてしまいます。インクルーシブな持続性への意識を高めることは、世界で待ったなしの状態です。
その観点から、2015年に国連が宣言した30年までの「持続可能な開発目標(SDGs)」について、世の中の関心を高めることは重要です。
SDGsは、00年から15年まで適用された「国連ミレニアム開発目標(MDGs)」とは異なり、先進国が途上国を援助する開発目標のみならず、先進国も含む持続的な開発目標です。
SDGsでは全部で17の目標と169のターゲットもあります。大企業であっても、中小企業であっても、一個人であっても、SDGsに取り組むことができる莫大なメニューです。
日本とコラボ
トランプ大統領の米国の行方の不確実性が高まっている中、SDGsの取り組みを通じて持続可能な経済社会を促す日本の行動が世界から期待されています。
トランプ大統領就任からの4年間、20年のアメリカ社会、そして世界がどう変わるか目が離せません。20年の日本はオリンピックを迎えていますが、これは到着点ではなく、20年以降の日本社会を象徴する大事な通過点です。
1964年に日本が開催した東京オリンピックは、その後の時代の象徴となりました。さまざまな社会インフラが構築され、日本の経済成長を支え、メード・イン・ジャパン( 日本国内で製造)が世界でのブランドとなり、日本は繁栄の時代を迎えました。
その後、メード・バイ・ジャパン(日本の指導で企画・製造)の時代にシフトしましたが、繁栄を描くことができにくい。トランプ現象などの社会的背景を考えると、一方的に輸出大国という成長モデルで日本が栄えるには限界があるからです。
もっといえば、メード・バイ・ジャパンの時代は終わりつつありそうです。アジアやアフリカなどの途上国ではメード・バイ・ジャパンは高い評価を得られているものの、中国、韓国など競合が多く、「メード・バイ」だけでは特徴が出しにくい現状があります。
今後のキーワードとしては、日本が各国・地域とコラボしながら企画・製造に取り組む「メード・ウィズ・ジャパン」を挙げたいと思います。これが20年から再び日本の繁栄の時代を迎えるための大切な心得であり、国家的戦略です。
日本人のモノづくりの匠の技を用いて、現地国の人材や素材を活用して共創するメード・ウィズ・ジャパン。世の中のサステナビリティーとインクルージョンを促すため、日本の「と」の力を育む必要性がますます高まります。
(一部敬称略)