「特集」自民党は〝鵺〟 権力を磁場に結合裏金と旧統一教会 「選挙の暗部」

「特集」自民党は〝鵺〟 権力を磁場に結合裏金と旧統一教会 「選挙の暗部」 画像1
久江 雅彦
共同通信社編集委員

 自民党派閥の政治資金パーティー裏金問題が通常国会で最大の焦点となり、盛山正仁文部科学相に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)側による選挙支援疑惑も浮上したことは記憶に新しい。この裏金と旧統一教会の問題は、いわば「選挙の暗部」。いわく分かち難く、地下茎で深く連関している。表裏一体の秘奥をひも解く鍵は、自民党という鵺(ヌエ)のような集団の本質に潜む。
 

 自民党とは何か。この党で40年近くの長きにわって選挙の実務に携わり、永田町で「選挙の神様」と称される久米晃・元事務局長に昨年インタビューした際の解説に、その内実が凝縮されている。
 〈小選挙区比例代表並立制の導入により、政党同士が競い合う構図になると言われましたが、結果は違います。なぜかと言えば、人を優先して投票する日本固有の土壌が今も連綿と続いているからだと思います。基本は地域の代表で、選ぶ時の大きな基準はその候補を信頼できるのか、ということ。自民党の候補者でも、小選挙区で落選する者もいる。野党でも当選を重ねているのは地域に根ざした議員です〉 

いわば「自分勝手党」

 要するに、自民党の大半は地域代表の色彩を帯びた個人の集まりという指摘である。そう、自民党は「自分党」、いや「自分勝手党」。江戸時代後期、幕藩体制の末端にあった村の一部では、名主などの村役人を入札(いれふだ)と呼ばれる選挙で選んでいた。日本、とりわけ地方では「ムラの長(おさ)」を選ぶことが源流にあり、それは今も根強く残る。

 裏返せば、科学的社会主義を標榜(ひょうぼう)する日本共産党や創価学会を支持母体とする公明党とは全く異なり、さまざまな考え方を持った議員の集まりだ。その訳は簡単である。自民党候補に投票する人のほとんどが、「比例区は公明党」とバーターで協力してくれる創価学会員を除いて、特定の思想や信条を抱いていないからである。自民党の閣僚経験者は、有権者の「その他大勢」こそが、自民党本来の支持基盤だと言い切る。

 その他の票ということは、地盤の強固な世襲やよほど選挙に強い議員でもない限り、選挙にはかなりの腐心を余儀なくされる。足らざるものはカネと人手である。故に、表の裏金といわれ、主として自民党本部から幹事長経由で手渡しされる政策活動費という名の〝表の裏金〟がよすがになる。その額、年間14億円超。なぜ表の裏金かと言えば、幹事長も受け取った議員も金額も時期も一切公にする必要がないからだ。

 不足分は税金を原資とする政党交付金が党本部から各議員や候補の選挙区支部に流れる仕組みで、国会議員の場合で1人当たり年間約1300万円。これを私設秘書の給与に充てたり、選挙区支部の下の行政区の支部に入れたりする。選挙区支部は事実上、国会議員や候補の組織で、行政区の支部はその地域の地方議員が差配できる。

 自民党では、これらを足し合わせてもカネが不足する議員が大半なので、政治資金パーティーを開いたり、選挙区支部への寄付を集めたりするわけだ。安倍派議員の裏金の一部も地盤固めや仲間づくりの資金に化した可能性は否めない。

 では、なぜそこまでカネが必要なのか。税金で賄われる公設秘書は3人。自民党議員の多くがこれ以外に7人前後の私設秘書を選挙区と東京に抱えている。地元には複数の事務所を構え、車も必要になる。かくして人件費や事務所、車やガソリン代などの固定費で年間3千万円を優に超えるという議員が多い。都市部の落下傘候補に至っては、有力な地元自治体議員から「選挙で協力を求めるからには、丸いもの(カネ)を持ってこい」と要求された人もいるという。

 表のカネにしても、裏金にしても、詰まるところ、資金力で政治活動にいそしみ、選挙に挑んでいるという現実がある。これでは、よほど自民党に逆風が吹かない限り、カネのない野党候補が太刀打ちするのは、なかなか難しい。

当落左右する人海戦術

 もちろん自民党には、カネで動かない支援者もいる。「うちは親の代からずっと◯△さん」と熱心に支援してきた後援会の人たちは最たる例だ。しかし、誰もがそんなに恵まれていない。とりわけ都市部やその周辺で、野党と際どい戦いを迫られる候補は猫の手を借りたいほど苦労する。証紙張りやポスティングなど仕事は山ほどある。最後は人海戦術がものをいう。

 そこに付け入った組織こそ、旧統一教会である。日本におけるアクティブな信者数は数万人ともいわれるが、寝食を忘れるほど熱心に選挙を支援してくれる。中には選挙事務所の近くに部屋を借りて、早朝から深夜まで電話をかけまくる信者もいたと明かす議員もいる。

 ことほどさように、自民党候補にとってカネと人手は当落を左右する命綱なのだ。

 自民党が1955年に自由党と日本民主党が保守合同で結党して以来、政権与党から2度転落したことはご承知の通り。奪取したのは、93年に8党会派で誕生した非自民・非共産の細川連立政権、そして2009年の民主党政権である。

 なぜ地域代表たる自民党候補が大負けして、野に下ったのか。細川政権の時は、その前にリクルート事件、金丸事件などスキャンダルが相次いだところに、自民党の権力を握っていた最大派閥の竹下派が分裂する惑星直列が起きたからだ。いわば、日本政治における「リーマン・ショック」ともいえる特異な現象で、権力という磁場に個人が寄り集まっている自民党が割れる事態は普通はあり得ない。

 では、いかなる背景で民主党政権は誕生したのか。どうして自民党に代わり得るもう一つの政党として存続できなかったのか。久米氏は「自民党が駄目だったことに加えて、野党の大半が民主党として一塊(ひとかたまり)になっていたからです」と言い切る。つまり、世論の多くが自民党に愛想を尽かして、かつ大きな野党が存在する。そのときに政権交代は起きるという経験則である。

 自民党は地域代表の個人の集まりであり、そこに参院全国比例代表を軸として、業界団体の代表が絡み合って成り立っている。建設であれ、農林漁業であれ、特定郵便局であれ、その背後にはそれぞれ霞が関の官庁が後ろ盾として控える。ざっくりと言えば、こうして自民党は存立している。そこで、耳目を集めた派閥という存在に行き着く。

派閥の必然、独裁回避

 特定の思想信条を持たない市井の人々から選ばれた自民党議員が、日本共産党や公明党のようなピラミッド型の純然たる組織政党にはなり得ない。一般社会のように雑多な議員の寄せ集め集団では、当然のことながら、派閥やグループが形成されていく。一つの選挙区の定数が3〜5だった中選挙区制では、自民党から複数の候補が立つので、最大で五つの派閥が存在した。小選挙区比例代表並立制になれば、1選挙区で自民党候補は1人だけになり、派閥は解消されると言われていたのに、想定通りにならなかった。

 岸田文雄首相は1月に「派閥解消」を表明して、宏池会(岸田派)の解散に踏み切り、他派閥も追随した。だが、それは苦し紛れの煙幕に終わるだろう。自民党には元々、無派閥議員が70人余りいたが、その人々とて、地域や政策分野などによって、いくつかのグループに属している。無派閥を掲げていても、実質的にどこかの派閥の領袖や幹部に近く「保護者」として頼る議員も少なからずいるのが現実である。自民党に一匹狼的な議員はほとんどいない。

 果たして、実際に派閥が消えうせるかと言えば、おそらくそんな展開にはならない。繰り返しになるが、理由は、自民党が特定の思想信条を持つ人間の集まりでなく、そこに票を投じる有権者の大半もそうではないからだ。

 今回の裏金問題で白日の下にさらされたのは、安倍派を中心に派閥の負の側面が如実に表れたということだ。それは「集金マシン」「ポスト配分機能」としての派閥である。自民党政治刷新本部は、ここにメスを入れたものの、果たして奏功するかは疑問である。そもそも自民党の派閥には総裁の独走を牽制(けんせい)したり、軌道修正させる抑止力としてのメリットもあった。この利点を顧みず、あたかも派閥を飛び出した議員こそ正義という見方には違和感が拭えない。

 派閥もしくはグループの利害得失をいかに整理していくのか。「集金マシン」としての負の側面をなくすため、派閥のパーティーを禁止しても、セミナーや勉強会といった抜け道は防げるのか。領袖や幹部を冠にして実質的な派閥パーティーは可能ではないのか。内閣の「ポスト配分機能」として派閥に代わり得るシステムは自民党政務調査会の部会なのか、党人事で執行部の人事委員会や人事局が公正な判断を下せるのか…。やはり、これまでの経過を振り返ると、「カネと人事」に絡む派閥は復活してくるに違いない。その時に守るべきは節度と限度である。

絶望的な責任感欠如

 安倍晋三元首相が亡くなった後、安倍派は塩谷立・元文部科学相が座長に就任。西村康稔前経済産業相、松野博一前官房長官、高木毅前国対委員長、世耕弘成前参院幹事長、萩生田光一前政調会長の「5人衆」を軸に集団指導体制を敷いてきた。

 彼らは先の政治倫理審査会などで裏金を巡り「会長と会計責任者の案件」「一切関与していない」と弁明した。会長を務めた安倍元首相、細田博之前衆院議長は亡くなり「死人に口なし」。安倍派幹部の言動は「逃げるが勝ち」にしか映らない。

 自民党政治刷新本部は中間取りまとめで、派閥の政治資金パーティー全面禁止や内閣や国会の人事での推薦、働きかけを禁止し、派閥から「政策集団」への移行を図るとうたった。集金マシンやポスト分配装置としての派閥の機能がなくなれば、政策集団に変わっていくという理屈だ。抜け道をふさがなければ、実効性が確保されるかどうか、まだ読み切れない。

 どんな方策も事の本質を抜きにしては実効性を欠く。事件でまず問うべきは、裏金に関与した政治家の責任感と倫理観にほかならない。それは海上保安庁の航空機と衝突した日本航空便の機長の行動と対極だ。機長は火の手が広がる中、乗客を避難させた後、煙が立ち込める機内に乗客がいないかどうか確認して最後に脱出した。これが当たり前の責任感だ。

 こうした職業倫理観のかけらもなく「秘書に任せていた」などと自己保身に走る政治家たち。その責任感の欠落は絶望的だ。何百万、数千万円ものキックバックを知らないなんて、常識的にあり得ない。知らなかったらそれも大問題で、国権の最高機関たる立法府を委ねるわけにはいかない。110兆円超もの国家予算の原資は税金である。自らの足元の不正を知らなかったとうそぶく政治家に、この血税の使い道を決める資格などない。居座った政治家の振る舞いを次の審判である選挙の日まで、しっかりと記憶にとどめたい。

共同通信社編集委員 久江 雅彦(ひさえ・まさひこ) 1963年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。毎日新聞社政治部から92年共同通信社入社。政治部で首相官邸、与野党、旧防衛庁、外務省を担当し2000〜03年ワシントン特派員。帰国後、政治部担当部長、整理部長などを経て14年から現職。論説委員を兼務し、コメンテーターとしてテレビの報道番組出演も多い。「日本の国防」「米軍再編」(いずれも講談社現代新書)など著書多数。

(Kyodo Weekly 2024年3月25号より転載)