俳優の三上博史が寺山修司の数々の名作を熱唱・熱演する、寺山修司没後40年記念/紀伊國屋ホール開場60周年記念公演「三上博史 歌劇‐私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない‐」が2024年1月9日から上演される。15歳のときに寺山と出会い、寺山が監督・脚本を手掛けた映画『草迷宮』でデビューした三上。寺山について「僕が育っていくことのすべての種になっていた方」と話す三上に、公演への思いを聞いた。
ー三上さんにとって寺山さんはとても大きな存在だと思いますが、改めて寺山さんへの思いを聞かせてください。
僕が寺山さんと出会ったのが15歳で、寺山さんが亡くなったのが僕が20歳のころなので、実際には5年間しか交流がないんです。ですが、その多感な時期の5年間は、強烈なものでした。見るもの、聞くもの、全てがかっこよかった。寺山さんから直接というよりは、寺山さんの作品であるとか、(寺山が主宰していた)演劇実験室◉天井棧敷という劇団の劇団員の方やスタッフの方からの影響が大きかったように思います。
ー寺山さんと出会って1番良かったと思うことはどんなことですか。
まずは、既成の価値観を全て壊されたということが1番大きいかなと思います。これがかっこいいんだよとか、これがすてきなんだよとか、この色はきれいなんだよとか、そういうことは全て最初に壊されてしまっているので、自分がどの色をきれいに思うのか、どの匂いがいいと思うのかとか、その都度、考えているんですよ。それはこの年齢になっても続いています。
ー出会った15歳のころにその価値観が覆されるような感覚を覚えたと。
そうですね。それで、寺山さんのルーツがどこにあるのかを知りたくなって、名画座の土曜のオールナイトや、(ピエル・パオロ)パゾリーニ特集とか(フェデリコ)フェリーニ特集などを必死になって探して、見ていた記憶があります。
ー今回、そうした思い入れのある寺山さんの作品を、寺山さんの神髄を知るスタッフとともに作り上げることになりますが、今回の舞台で楽しみにしていることやめざしているところを教えてください。
正直なところ、まだどんなものができあがるのか僕自身、分からないんです。ただ、今回は、僕の大好きなミュージシャンたちも来てくれますし、僕の大好きな衣装デザイナーもヘアーメイクも入ってくれていて、どこを向いても大事な人だらけです。そうした人たちがどんな反応を見せ、ワークハンドしていくのか。そこには良いことしかないと思っています。今、一つ言えるのは、いわゆる「お仕事的なアプローチ」が、どこにもないということ。好きなことだらけなので、大失敗の恐れもありますが(笑)、良くも悪くもすごいものにはなると思います。好きなものを詰め込んでいるので、楽しみです。どこか、僕の部屋をのぞいているような感じの作品になると思います。
ー今この時代に、寺山さんの作品を観客に届けることで、何を伝えていきたいと考えていますか。
こちらからのアプローチや作戦とか作為というものは、全くないんですよ。僕は、この15年ほど、青森県三沢市の寺山修司記念館でささやかな会を開催しているのですが、そのとき、アンテナの高い子たちがどんどん増えていっているのを肌で感じてきました。そうしたこともあり、皆さん求めているのならば、僕にできることをしようと思っただけで、(今回の公演を行うことで)巻き込もうなんて考えてもいません。ただ、若い子たちが自然発生的にやってくるというのは、何かが刺さっているからなんだと思います。それがアートなのか、言葉なのか、少女詩集なのか僕には分からない。僕自身も何で何だろうとは思っていますが、きっと皆さん、何かを求めて集まってくれているんだと思います。