NHKで好評放送中の大河ドラマ「光る君へ」。9月22日に放送された第三十六回「待ち望まれた日」では、ついに一条天皇(塩野瑛久)と心を通わせた中宮・彰子(見上愛)の懐妊・出産と、主人公のまひろ(吉高由里子)から漢詩を学ぶ彰子の姿が描かれた。
その中で印象的だったのは、白居易の漢詩「新楽府」を学ぶ彰子に対して、まひろが語った次の言葉だ。
「太宗皇帝はただ戦がうまく、時運に乗ずるのに長けていたのみではありません。人に対し、常に真心を尽くしたゆえ、おのずと、人々の心は皇帝に付き従ったのでこざいます」
この言葉にある「真心」の意味を改めて調べてみると、「迷いや疑いのない真実の心」、「いつわりや飾りのないありのままの心」といった意味が出てくる。振り返ってみれば「光る君へ」は、「真心」の物語だといえる。
彰子が一条天皇と心を通わせることができたのも、まひろに背中を押され、偽りのない気持ち=真心を伝えたからであり、まひろと彰子が信頼関係を築くことができたのもまた同様に、互いに真心を持って接したからであろう。
さらにさかのぼれば、まひろと藤原道長(柄本佑)が強い絆で結ばれるようになったのも、幼い頃に出会い、貴族社会の身分制度に捉われることなく、真心を持って接することができたからだ。
ほかにも、前回の藤原伊周(三浦翔平)&隆家(竜星涼)兄弟の会話や、かつての一条天皇と藤原定子(高畑充希)の関係など、この作品には「真心に基づく人間関係の物語」が溢れている。藤原道兼(玉置玲央)の悲劇も、父・兼家(段田安則)に裏切られたことが原因であり、「真心」の裏返しといえる。
そしてそれは、私たちが生きる今の社会にも通じる。「真心」に基づく物語だからこそ、「光る君へ」は多く人の心を打つのではないだろうか。
さらに、もう一つ心に残ったのが、まひろが彰子に語った次の言葉だ。
「傷とは、大切な宝なのでございますよ。傷こそ、人をその人たらしめるものにございますれば」
定子の光の部分だけに焦点を当てた「枕草子」を執筆したたききょう/清少納言(ファーストサマーウイカ)に、「私は、皇后さまの影の部分も知りたいと思います」と語ったまひろらしい言葉だ。
これが「人の好き嫌いの心は、とても変わりやすいもの。好きとなれば、羽根が生え、飛ぶほどに持ち上げて大事にしますが、嫌いとなれば、傷ばかり探し出します」という漢詩の説明に対して、「私も、まもなく帝に傷を探されるのであろうか」と案じる彰子に語ったものであることを踏まえると、「相手に傷を探されることを恐れない」という意味であり、それはつまり、「真心」に通じる。
「光る君へ」が真心の物語であることを実感すると同時に、自らも「真心」を持って人と接していかねばと、改めて考えさせられる回だった。では、真心の物語においてこの回の最後、道長との関係を察した赤染衛門(凰稀かなめ)から「左大臣様とあなたは、どういうお仲なの?」と尋ねられたまひろは次回、なんと答えるのだろうか? その答えが気になる。
(井上健一)