「特集」被団協にノーベル平和賞 重い政府への補償要求 条約オブザーバー参加を 運動は次世代の手に

川崎 哲
ピースボート共同代表


脆い「核のタブー」

 12月10日、2024年ノーベル平和賞の日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)への授賞式が、ノルウェー・オスロの市庁舎で行われた。私は、日本被団協の公式代表団の1人として授賞式に参列するという光栄を得た。17年に核兵器禁止条約の成立に貢献したとして核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が受賞した時以来の2回目の参列となった。

 式典で日本被団協への授賞演説を行ったノーベル委員会のヨルゲン・ワトネ・フリードネス氏は、39歳の史上最年少で就任した新任の委員長である。11年にノルウェーのウトヤ島で起きた極右によるテロ事件の被害者に向き合い、同島のリーダーを務めてきた人物だ。「痛み、悲しみ、トラウマと向きあう仕事を通して、私は体験談や記憶の力を認識することの大切さを学んできた」という。

 日本被団協への授賞については、被爆者が「長年にわたり自らの直接の証言を通じて、核兵器に対する重要な国際的タブーを形成し維持することに貢献」してきたとたたえた。

 「核のタブー」とは、「核兵器使用は道徳的に許されないという国際規範」のことである。「しかし、このタブーは脆(もろ)く、特に時がたつにつれて、より脆く崩れ去る恐れもあります」と委員長は指摘した。

 国名こそ挙げていないけれども、意味しているのは、ロシアによるウクライナ軍事侵攻やイスラエルによるガザ攻撃が続く今日、核兵器が使われる危険が増大しているという現実だ。だからこそ、核兵器使用がもたらす壊滅的な影響について目を向けなければならない―。ノーベル委員会は、こう警告しているのだ。

 ノーベル平和賞が核兵器の脅威を減らすための活動に授与されたのは過去13回だという。日本被団協の7年前にはICAN、その8年前の09年には「核兵器のない世界を目指す」とうたった米国のオバマ大統領。05年には国際原子力機関(IAEA)とエルバラダイ事務局長が受賞した。北朝鮮やイランの核開発疑惑が高まっていた時だ。1995年には、核兵器と戦争の廃絶を求める「パグウォッシュ会議」が、85年には「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」が受賞している。

 日本からは74年に佐藤栄作首相が受賞しており、非核三原則を掲げたことがその理由の一つだ。それから50年後に日本被団協が受賞した。日本は、被爆国として世界の中でとてもユニークな立場にあるのだ。

日本政府の「責任」

 式典では田中熙巳(たなか・てるみ)、田中重光(たなか・しげみつ)、箕牧智之(みまき・としゆき)の3代表委員が登壇した。代表してノーベル講演(受賞演説)を行った田中熙巳代表委員は、20分強にわたって、日本被団協の基本要求、5人の家族を失った自身の被爆体験、日本被団協の活動の歩み、そして世界への訴えを語った。巨大なホールで厳粛な雰囲気の中、決して体が大きいとはいえない田中さんは、千人を前に落ち着いた口調で言葉を重ねていった。

 それは「命を奪われ、身体にも心にも傷を負い、病気があることや偏見から働くこともままならない」中で生き抜いてきた被爆者の生き様そのものを示すような、力強い語りであった。「自分たちが体験した悲惨な苦しみを二度と、世界中の誰にも味わわせてはならない」という思いで、被爆者は活動してきた。

 56年に結成された日本被団協は、原爆被害への国家補償と核兵器廃絶を二つの「基本要求」としてきた。とかく「核兵器廃絶」の側面が注目されるが、ノーベル講演においては「国家補償」の側面も同じくらい強調されている。田中さんは、講演において「もう一度くり返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」という、原稿になかった言葉をアドリブで加えている。

 日本被団協は、原爆被害に対する補償を米国政府にではなく、日本政府に対して求めてきた。「原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならない」という考え方からだ。運動の結果、原爆医療法(57年)や被爆者援護法(94年)が制定された。しかし、これらは生存した被爆者に対する「社会保障制度」であって、「何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けて」きた。

 政府が国家補償を拒んでいる根底には、「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」という戦争被害「受忍論」がある。戦争被害を国民は「受忍」、すなわち我慢すべしということである。日本被団協による「国家補償」要求については、ノーベル委員会の委員らも、式典前後の交流の中でたいへん関心を示していたという。

 戦争被害者が戦争を遂行した政府の責任を問うているということは、国内でももっと広く伝えられるべきテーマである。今日、日本が東アジアでの戦争に何らかの形で参加するという現実味が増しており、「台湾有事」や「国民保護」といったことが頻繁に語られている。しかし政府は戦争において国民を本当に「保護」するのか。また国民に「我慢」を強いるのではないか。

 「核兵器廃絶」については、ノーベル講演の次の一節に注目したい。

 「核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです」

 ノーベル委員会が強調した「核のタブー」は、あくまで核兵器を「使用してはならない」という規範である。では、使わなければ持っていてもいいのか。いわゆる抑止論は「自分から使うつもりはないが、相手が使わないように持っている」というものだ。これに対して被爆者は、使用のみならず保有も許されないと明確に訴えている。

 「核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう」と田中さんが講演を締めくくった時、拍手は鳴りやまなかった。

数えきれないほどの証言

 オスロへの日本被団協の公式代表団は計38名、うち17名が被爆者であった。主には日本被団協の役員たちだが、そこに韓国原爆被害者の会の会長、在ブラジルの原爆被害者の代表が加わった。海外在住の被爆者らは戦後長く放置されてきたが、それぞれの国で運動を起こし、権利と援護を勝ち取ってきたのである。

 日本被団協は、全国にある被爆者団体の連合体である。だが証言活動を続けてきたのは、数え切れないほどの被爆者一人一人である。「全ての被爆者の方々を本日ここにたたえたい」と、フリードネス委員長は授賞演説で述べている。

 日本被団協の役員以外にも、多くの被爆者や関係者が共に平和賞受賞を祝福したいと願った。これを受け原水協(原水爆禁止日本協議会)とピースボートが協力しオスロへのツアーを企画し、被爆者12名を含む54名が参加した。

 授賞式前後には、さまざまな取り組みが行われた。たいまつの行進、ノーベル平和フォーラム、ノーベル平和センターでの展示会といった公式行事に加え、広島の被爆樹木の種のオスロ市植物園への贈呈式、日本と地元の高校生の交流、大学での証言会などである。

 被爆者によるノルウェーの国会議員との面会も行われた。ノルウェー自身は、いまだ核兵器禁止条約に署名していない。NATO(北大西洋条約機構)の一員としては入れないというのである。表向きに平和や人道を掲げながら、実際には米国の核の傘の下で核抑止政策を取っているという意味で、ノルウェーと日本は似ている。だが、ノルウェーは日本と違い、核兵器禁止条約の締約国会議にはオブザーバー参加をしている。

 「ICANノルウェー」など地元NGOは、被爆者をオスロで歓迎し、こうした国会議員面会や各種イベントを準備してくれた。地下鉄の駅や市内各地には「日本被団協おめでとう、ノルウェーは核兵器禁止条約に署名せよ」という広告が、NGOとノルウェー赤十字社の協力で掲げられた。

日本の課題

 ICANは、ノーベル平和賞を受賞したことでその活動は飛躍した。参加団体、スタッフ数、財政規模いずれも大幅に拡大した。7年間で98カ国が、核兵器禁止条約の締約国または署名国になった。

 日本被団協もまた、次なる運動への飛躍をと意気込んでいる。しかし被爆者の平均年齢は85歳を超えている。被爆80年となる今年、いかに次世代の行動を拡大していけるかが鍵だ。

 日本政府の最大の課題は、今年3月3~7日にニューヨークで開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議へのオブザーバー参加を決断することである。核兵器の非人道性を政府として明確に発信するとともに、世界の核実験被害者の援助や、核廃棄の検証制度の確立といった議論にもしっかりと関わってもらいたい。議長は旧ソ連の核実験被害国カザフスタンであり、被害者援助の国際信託基金の議論も進んでいる。

 市民レベルでは昨年、一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」が、超党派、超世代の運動体として発足した。日本被団協の田中熙巳代表委員が代表理事で、事務局でキャンペーンを牽引(けんいん)するのは20代の青年である。来たる2月8~9日に「被爆80年 核兵器をなくす国際市民フォーラム」を東京・聖心女子大学で開催する。※

 「私たちがやってきた運動を、次の世代のみなさんが、工夫して築いていくことを期待しています」とノーベル講演の中で田中熙巳さんは述べている。私たちの行動が問われている。
※https://2025forum.nuclearabolitionjpn.com/

ピースボート共同代表 川崎 哲(かわさき・あきら) 1968年東京都生まれ。93年東大法学部卒。ピースボートで地球大学プログラムや「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」をコーディネート。2009〜10年、日豪両政府主導の「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)」でNGOアドバイザー。ICAN国際運営委員兼会長、核兵器をなくす日本キャンペーン専務理事も務める。著書に「核拡散 軍縮の風は起こせるか」(岩波新書)など。

(Kyodo Weekly 2025年1月27日号より転載)