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【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】平気で残せるようになりました~前編

【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】平気で残せるようになりました~前編
【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】平気で残せるようになりました~前編

2023年4月9日=1,463
*がんの転移を知った2019年4月8日から起算


わが地元 で国道1号線と国道23号線をつなぐ幹線道路沿いの桜並木 =4月2日、三重県木曽岬町
わが地元 で国道1号線と国道23号線をつなぐ幹線道路沿いの桜並木 =4月2日、三重県木曽岬町

「平気で残せる」

何のこっちゃと思われたことでしょう。

遺産か? と知り合いが愚問を飛ばす。ないない、そんなもん。週1~4回午前中だけの非正規雇用の身。その給料から治療代・生活費はもちろん「国民年金」まで支払っている。65歳まで保障されないわが命にもかかわらず。ならば免除してくれよ…という訳で、不正解。

正解は「食事」であります。昭和30年代生まれ、いわゆるもったいない世代。家庭でも学校でも、しばしば言われたものだ。

「ごはん残すなんて、もったいない事したらバチあたるぞ」
「もったいないから、給食は残したらあかん」

こんな風に洗脳されてきたから、食べ物を残した記憶はあまりない。
そしていま、その教育効果もむなしく食事を「平気で残せる」ようになって、洗脳から解放された。その軌跡をたどりたいと思う。え? そんな軌跡興味ない?

▽早食いに

食事はほとんど残さなかった私だが、食べるスピードは遅かった。小学校時代は給食を食べ終えられず、運動場に出遅れていた。しかしそれが医者になってからというもの、人一倍速くなってしまった。
研修医時代、見るも聞くも全部、真新しい事ばかり。患者もスタッフも、誰も待ってはくれない。受け持ち患者に異変があれば真っ先に呼ばれ、患者の前に登場。しかし自分ができることには限りがあるため上司に相談しないといけない。患者を助けるために、すべき事は山ほどあった。

そして連続2日半勤務も少なからずあった。例えば、月曜朝7時前には病棟へ到着し、その日は当直。当直で自分が対応した急患は、そのまま主治医となることが多い。翌火曜も通常勤務。ここは夕方5時に帰れると思いきや、その急患の容体が思わしくなく病院を離れられない。そして皆の願いかなわず、当患者が水曜の早朝お別れを迎えたとなれば、お見送りに同席。そして水曜は外来診療の担当。特に再来診療となると他の医者には代わってもらいにくい。なぜならば、いま患者の立場の自分がそうであるように、患者は同じ医者に診てもらいたいと思うものだから。昼過ぎまで外来診療を行い、その後は担当入院患者の診療。ようやく夜7時ごろ退勤。

月曜朝7時~水曜夜7時まで、合計60時間連続勤務なり。1日24時間以上ほしいと叫び訴えたこと、幾度あることか。プライベートのためやない、ただ睡眠を得たいために。

こんなオレを見て上司が声をかける。
「大橋ぃ、食事だけはしっかりとっとけよぉ~」
声援よりも、診療を代わってくれるなどの応援をやってくれ―とは言えんかった。当時はこの業界もかなり上下関係厳しかった。いまは違うと信じたい。

地元では「桜トンネル」とも呼ばれる場所から大空を臨む=4月2日、三重県木曽岬町
地元では「桜トンネル」とも呼ばれる場所から大空を臨む=4月2日、三重県木曽岬町

▽体重3ケタ…

医者の時代に学んだことのひとつ。
「食べられる時に、食べられるだけ食べておく」
患者を助けるという壮大な目標を成し遂げるために、努力、努力の日々。休みも取れず、運動もできず。
その結果・・・
上下はそのままで、左右と前後にどんどん成長の一途をたどっていった。四半世紀ほどかけて、いつの間にか体重は3ケタを超えていた。
(後編につづく)

ところでユーチューブライブ配信、しぶとく続けてます。登録名「足し算命・大橋洋平の間」。配信日時は不定期なためご視聴しづらいとは察しますが、どこかでお気づきになりましたならばお付き合いくださいな。こちらも何とぞ応援の程よろしくお願い申し上げまぁす。

(発信中、フェイスブックおよびYouTubeチャンネル「足し算命・大橋洋平の間」)


おおはし・ようへい 1963年、三重県生まれ。三重大学医学部卒。JA愛知厚生連 海南病院(愛知県弥富市)緩和ケア病棟の非常勤医師。稀少がん・ジストとの闘病を語る投稿が、2018年12月に朝日新聞の読者「声」欄に掲載され、全てのがん患者に「しぶとく生きて!」とエールを送った。これをきっかけに2019年8月『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)、2020年9月「がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58」(双葉社)、2021年10月「緩和ケア医 がんと生きる40の言葉」(双葉社)、2022年11月「緩和ケア医 がんを生きる31の奇跡」(双葉社)を出版。その率直な語り口が共感を呼んでいる。


このコーナーではがん闘病中の大橋先生が、日々の生活の中で思ったことを、気ままにつづっていきます。随時更新。