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「どうする家康」第26回「ぶらり富士遊覧」家康の変化を際立たせた松本潤の熱演【大河ドラマコラム】

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 「恨んでおるのは、別の誰かか」と意味ありげに尋ねる信長。
これに対して、涼しい顔で「何のことでございましょう」とうそぶく家康。

 NHKで好評放送中の大河ドラマ「どうする家康」。7月9日に放送された第26回「ぶらり富士遊覧」の一幕だ。この回、宿敵・武田勝頼(眞栄田郷敦)を滅ぼした織田信長(岡田准一)の祝いに駆け付けた主人公・徳川家康(松本潤)の前に、勝頼の首が運ばれてくる。それを「徳川殿、憎き憎き、勝頼でございますぞ。蹴るなり、踏みつけるなり、気のすむまで、存分になさいませ」と勧める明智光秀(酒向芳)に対して、家康は淡々と「恨んではおりませぬゆえ」とかわす。冒頭に引用したのは、その様子を見た信長と家康のやり取りだ。

「どうする家康」(C)NHK

 前回、妻の瀬名(有村架純)と息子・信康(細田佳央太)が自害することになったのは、同盟を結んでいた勝頼の裏切りがきっかけだ。とはいえ、信長がいなければ、2人が命を落とすこともなかった。いずれにしても、これまでの家康なら、人目はばかることなく涙を流し、悲しみをあらわにしていたはず。だが、この回の家康は、今までとは違い、終始感情を押し殺したままだった。その様子は、信長に「あれは変わったな。腹の内を見せなくなった。化けおったな」と言わしめたほど。その様子からは、家康の中で大きな変化が起き、同時に物語が新たな局面に入ったことが伝わってきた。

 大河ドラマの特徴の一つとして、1人の俳優が登場人物の長い人生を演じることが挙げられる。若い頃からさまざまな経験を経て人間的成長と変化を重ね、晩年に至るまで、時間をかけて1人の人物を演じる。そんな作品は、大河ドラマのほかには、朝ドラくらいしかない。それだけ貴重な体験でもあり、演者にとっては大きなやりがいがあるはずだ。

 その一方で、難しさもある。例えば、映画であれば撮影に入る時点で結末が分かっているので、そこに向けてどこでどんな芝居をするか、逆算で組み立てることができる。しかし、大河ドラマの場合、撮影が始まった時点では結末が決まっていないので、先を見越して芝居を計算することは難しい。まして、年月を重ねた人物が(=さまざまな共演者との芝居を重ねた役者自身が)どう変わっていくのかを事前に予測することは不可能といっていい。