『コヴェナント 約束の救出』(2月23日公開)
2018年、アフガニスタン。タリバンの武器や爆弾の隠し場所を探す部隊を率いる米軍曹長ジョン・キンリー(ジェイク・ギレンホール)は、不承不承アフガン人通訳のアーメッド(ダール・サリム)を雇う。
ところがアーメッドは優秀で、部隊の危機を何度も救う。その後、キンリーの部隊はタリバンの爆発物製造工場を突き止めるが、大量の兵を送り込まれ、キンリーとアーメッド以外は全滅してしまう。キンリーも瀕死(ひんし)の重傷を負うが、アーメッドが必死の思いで100キロ先の米軍基地まで運び、キンリーは本国への帰還を果たす。
だが、自分を助けたためにアーメッドがタリバンから狙われ、身を隠していることを知ったキンリーは、彼を救うため再びアフガニスタンへと向かう。
ガイ・リッチー監督が、アフガニスタン問題とアフガン人通訳についてのドキュメンタリーに着想を得て撮り上げた社会派ドラマ。
この映画がユニークなのは、極限状態を共に生き抜いた“戦友”とも呼ぶべき特別な関係から生じる、日本的とも思える義理や人情、恩義に報いることを描いているところ。エンディングにも、コヴェナント=契約、ボンド=絆、プレッジ=誓い、コミットメント=約束という字幕が出る。
そんなキンリ―とアーメッドの関係を見ていると、カンボジア内戦を舞台に、アメリカ人ジャーナリストとカンボジア人通訳の友情を描いた『キリング・フィールド』(84)を思い出すが、どちらかといえば、西部劇によく見られる、白人と白人に味方するインディアンの通訳との関係に似ている気がする。
例えば、西部劇的にいえば、この映画の場合はタリバンが憎きインディアンの役割で、悪いのは彼らの方なのだから、自分たちの身を守るためなら彼らをいくら撃ち殺しても構わないということになる。そしてインディアン=タリバンの追手から逃れる逃亡劇が繰り広げられ、最後は騎兵隊=米軍が現れるという仕組み。
リッチー監督は、実はこうしたアメリカの短絡的な思考を揶揄(やゆ)したかったのかもしれない。だから、この映画の場合は、美談や感動的な話ではなく、むしろ苦い話としての印象の方が強くなるのだ。
ところで、この映画のオープニングにアメリカの「名前のない馬」が流れる。ベトナム戦争下の72年のヒット曲だ。アメリカはイギリスで結成された3人組のバンドだが、3人とも父親はロンドンに駐留する米国軍人だった。ガイ・リッチー監督もイギリス人。だからアメリカ合衆国から見れば”異邦人”である彼らが”砂漠”を歌ったこの曲を、映画のテーマに沿ったものとして象徴的に使ったのだろう。
(田中雄二)