混沌(こんとん)とする世界情勢。その中でもイランの立場。次回までに自分の中で言葉を落とし込んでから記事を書かせてください。今回はずっと皆さんに問いかけたかったことを。
「冤罪(えんざい)」という言葉をどう捉えていますか? 突然、強い言葉から始まってしまい申し訳ないです。私にとって冤罪という言葉が近年、色味が濃くなっていく言葉の一つだと感じています。9月26日に速報ニュースとして「袴田巌さんに再審無罪判決 逮捕から58年、死刑覆す」を目にした。無罪判決は事件から58年。死刑の確定判決から44年。あまりにも長い。正直、憤りを感じています。なぜ検察側は「控訴」ばかりを求めるのか? 本来、検察がやるべきことは違うのでは? 捜査による捏造(ねつぞう)が一体なぜ起きたのか? それを全面的に検証するべきではないのでしょうか?
こんなふうにあたかも知ったように書いていますが、私がこの事件を知ったのはここ数年であり、それまでは「冤罪」に関心がなかった。あえてハッキリ書いていきます。そして私と同様に、この事件に関して世論はどれほど関心を持っているのでしょうか? この前、通り過ぎる方に勇気を出して聞いてみました。「袴田さんの事件を知っていますか? 冤罪に関してのイメージは?」という問いかけに「袴田事件は聞いたことある。でも深く何があったのかは分からない。ずっと戦っているイメージ」と丁寧に回答してくださった。「関心」を持ちづらいのもわかります。家族でも親戚でもない赤の他人であるわれわれには、感情移入がしづらいのもよくわかります。しかし、自分の家族で同じようなことが起きたら「そっか〜」とはならないはずです。犯罪に関わることでなくとも、何もしていないのに「あなたでしょう?」と疑われることや、大人になっても日常にも溢(あふ)れている人間同士の「冤罪」。
やってないことを裏では犯人扱いされたり、固定概念で「〇〇さんならやりかねない」と言われたり。もしかしたら、アナタ自身が誰かのことをそう思った経験はありませんか?
それは日頃から馴染(なじ)みすぎていることであり、無関心のうちに互いに貼り付けているタグの一つが「冤罪」。そしてメディアも同罪です。これは私自身へのことでもあります。報道一つで誰かを「冤罪」にできてしまう。無実の罪で捕えられ奪われた時間、年月は一生かえってはこない。「謝罪」では済まされない。傷ついた自尊心、尊厳、人権は元には戻らない。袴田さんの表情を見るたびに涙がこみ上げてきます。私だって無関心だった側です。地方裁判所の前を通るとプラカードや横断幕で必死に声を上げている人々を何度も「みなかったこと」にして通り過ぎていた。背を向けたら、次は私たちの番になります。「冤罪」について考えることは日頃の人間関係にとっても重要なのではないでしょうか? 私もまだまだですが、背を向けて歩くのをやめました。これからは真正面から向き合いたい課題の一つです。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 43からの転載】
サヘル・ローズ/俳優・タレント・人権活動家。1985年イラン生まれ。幼少時代は孤児院で生活し、8歳で養母とともに来日。2020年にアメリカで国際人権活動家賞を受賞。