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永田町の求人倍率は異常に低い 【政眼鏡(せいがんきょう)-本田雅俊の政治コラム】

 猿は木から落ちても猿だが、議員が選挙で落ちればただの人―大野伴睦氏が残した名言だが、より気の毒なのは、“ただの人”に仕えてきた秘書たちかもしれない。自分で選んだ道とはいえ、議員の落選や引退で路頭に迷うことは珍しくない。“次の主”を求めても、昨今はそう簡単には見つからないのだ。

 厚生労働省が7月7日に発表した5月の毎月勤労統計調査によると、実質賃金は5カ月連続の減少になった。とはいえ、どこでも猫の手も借りたいほどの人手不足で、直近の有効求人倍率は1.24倍の高水準を維持している。仕事内容に強いこだわりがなければ、理屈上、誰でも何らかの仕事を得ることができるわけだ。最近は転職を促すコマーシャルもよく流れる。

 しかし、永田町の状況は大きく異なり、職を見つけられない元秘書が実に多い。昨年10月の衆院選で自民党が70議席近くも減らした結果、路頭に迷っている者たちだ。時給換算すれば決して割のいい仕事ではないはずだが、「政治の世界で働き続けたい」「今さら一般企業では働けない」などの理由で、今日もスマホと履歴書を手に就活を繰り広げている。

 政治家の秘書がやや“特殊”であることは否めない。「犬は人に付き、猫は家に付く」というが、誤解を恐れずに記すならば、議員秘書は間違いなく“犬型”であり、組織のためというよりも、主のために働く。もはや死語と化しつつあるが、かつては「二君にまみえず」といった“美徳”が重んじられたし、仕える議員のことを「オヤジ」と呼ぶ秘書もいる。

 とはいえ、主である議員が死去したり、引退したりすれば、「家族を養わなければならないので背に腹は代えられない」(ベテラン秘書)といった思いから、他の議員の秘書になろうとする者は少なくない。だが、それでも政党の垣根を越えることだけは、今でも稀のようだ。主義主張の違いが大きいことは容易に想像できるが、「他党との接点が小さく、知り合いが少ない」(中堅秘書)ことも背景にあるようだ。

 自民党が国政選挙で圧勝し、議席を大幅に増やせば、当然のことながら秘書の需要は増える。今、浪人中の元秘書たちは、まさにそのチャンスを待っているのだが、現実は厳しい。自民党の場合、永田町勤務の秘書はなかなか一般公募されず、縁故や紹介で採用されやすい。SNSなどで積極的に情報を得て、ツテを頼らなければ、面接にこぎつけることさえ容易ではないのだ。

 かつては、派閥が所属秘書の共済的な機能や互助会的な役割も担った。議員が落選したり、引退したりすれば、派閥がその秘書を新人議員にあてがったりしたし、時には派閥事務所で面倒を見た。バッジを外す議員のほうも、長年尽くしてくれた秘書の再就職のために頭を下げることがままあった。だが、もはやほとんどの派閥は解消しているし「義理人情に厚い議員もめっきり少なくなった」(自民元議員)という。

 時代だけではなく、ハード面での変化も、秘書の再雇用問題に影響を与えているかもしれない。以前の議員会館は古くて手狭であったが、それぞれのドアは開けっ放しで、和気あいあいとしていた。事務所同士の距離感が近く、人的な交流や情報交換、モノの貸し借りも日常茶飯で、あたかも相互に助け合う“人情長屋”のようであった。だが、現在の新しい議員会館はもはや“タワマン”に近い。

 もちろん、伴うもの、つまりは政治資金による制約も大きい。かつて派閥の領袖や大物議員が政治資金パーティーを開けば、一晩で数億円を集めることもできた。それだけ資金に余裕があれば、新たな秘書の1人や2人を召し抱えることは指して難しくないだろうが、今ではどこの事務所も資金集めに四苦八苦しており、最小限の数の秘書を維持していくのが「やっとこ」(中堅議員)らしい。

 間もなく参院選の投開票日を迎える。マスコミ各社の事前予想では自民党は厳しい戦いを強いられており、議席増どころか十数議席も減らすようだ。そのようなことになれば、採用の機会、少なくとも面接の機会を待ち望んでいる元秘書たちからため息が漏れるだけでなく、永田町の失業者はもっと増え、失業率がさらに高まることになる。

 あまりいいイメージを抱かれていない議員秘書だが、強運を持ち続けていなければ、永田町で生き続けることは並大抵でないのだ。

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。