言質を踏み倒す系
言質を与えない系とはまた別の政治家の振る舞いとして最近目につくのは、言質は与えるのだけれど、与えた言質を無視して好き勝手するという振る舞いだ。要は、背負った責任を果たさず、それを踏み倒すという振る舞いである。これを「言質を踏み倒す系」と呼びたい。
たとえば、「真摯(しんし)に受け止めます」という言葉を考えてみよう。ある提言・提案を真摯に受け止めるというのは、自分の都合の悪いことも含めてその内容に誠実に向き合い、それを自分の行動に反映させるという約束の言葉である。
それは、その提言・提案の中から、自分に都合のいい部分だけを取り上げてその点だけを自分の行動に反映させる、ということでは断じてない。「真摯に受け止める」と言いつつも、実際の行動が後者のものに過ぎないならば、それは約束を反故(ほご)にする振る舞いとして非難に値する。
こうした約束破りを堂々と行うのが言質を踏み倒す系の振る舞いだ。これは、お金を借りたのに返さないというのと同様の、私たちの社会生活の基礎にある基本的なルールを踏み躙(にじ)る反社会的な行いである。
言質を踏み倒す系の振る舞いとして近年目立つのは、根拠なき放言である。一般に、何かあることを主張したー単なる憶測や個人の感想の表出でなくーのなら、そこには〝挙証責任〟が生じる。
それは、求めに応じて発言の根拠を提示するという責任である。気に入らないメディアを「フェイクニュース!」となじり、自分が負けた選挙は「盗まれた」と無根拠に叫ぶドナルド・トランプ米大統領が、主張に伴う挙証責任を踏み倒しているということは多くの人の目に明らかであろう。
斎藤元彦兵庫県知事は、内部通報の対応について、第三者委員会などからその違法性を指摘されているにもかかわらず、その対応が「適切・適法だった」と繰り返し主張する。他方でその根拠を示すことはない。ただただ、無根拠にそう繰り返すだけだ。斎藤知事のこうした振る舞いは、トランプ大統領の放言と同様に、言質を踏み倒す振る舞いである。
言葉の後の行動に注目
言質を踏み倒す系の振る舞いにどう向き合えばよいか。言質を踏み倒すというのは、言葉によって生じる言行一致の責任を蔑(ないがし)ろにする、ということだ。
このことを踏まえると、言葉の後の行動に注目するというのが大事だ。「真摯に受け止める」という約束の言葉に相応(ふさわ)しい行動をとっているのか、「適切・適法だった」という主張に伴う挙証責任を果たしているのか、こうしたことをしっかり見定めた上で、もし実際の行動が言葉の責任に背くものであるならば、言行の不一致を客観的な一つの事実として提示する。
相手の振る舞いにどれだけうんざりさせられようとも、愚直にこれをやり続ける。このことが言質の踏み倒しを牽制(けんせい)するための重要な第一歩になる。

ふじかわ・なおや 1980年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。博士(文学)。専門は言語哲学。著書に『名前に何の意味があるのか―固有名の哲学』(勁草書房)、訳書にハーマン・カペレン+ジョシュ・ディーバー『バッド・ランゲージ―悪い言葉の哲学入門』(共訳、勁草書房)、グレアム・プリースト『存在しないものに向かって―志向性の論理と形而上学』(共訳、勁草書房)などがある。近著に『誤解を招いたとしたら申し訳ないー政治の言葉/言葉の政治』(講談社)。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.14からの転載】









