-第三十二回では父・藤原為時(岸谷五朗)が、中宮・藤原彰子(見上愛)の女房として内裏に出仕することが決まったまひろに「お前が女子(おなご)であってよかった」と告げるシーンも印象的でした。
その一言を聞き、まひろは「やっと認められた」とうれしかったに違いありません。「お前が男であれば」と言われ続けてきたまひろにとって、父上は最も自分を認めてほしかった相手。しかも、父上が学者でなければ、自分の文学の才能もなかったと思っているはずですから。そんな父上から「お前が女子(おなご)であってよかった」と言ってもらえたことは、まひろにとってようやく「生まれてきてよかった」と思えた瞬間だったんだろうなと。とても大きな一言だったと思います。
-内裏に出仕することになったまひろと、ソウルメイトである藤原道長(柄本佑)の関係は今後、変わっていくのでしょうか。
立ち位置も環境もガラッと変わります。そもそも、これまでは同じ空間にいることがほとんどなかった2人ですから。ただ、あれほど一緒にいたいと思っていた相手と同じ場所にいられるようになり、距離的にはぐっと近づいたのに、すごく遠い関係になってしまって。 “三郎”(道長の幼名)の頃の道長の方が、身分的にはかけ離れていても、心の距離は近かった気がします。
-なるほど。
とはいえ、互いに引かれ合っていることは、これからも変わりません。まひろは道長のことを思い続け、その気持ちが爆発しないように一生懸命、自分の心にふたをしている。でも、同じ方向を目指している者としては、とても心強い存在。ある意味、2人は光と影のような関係なのかなと。まひろが影にいるときは道長が光り輝き、まひろが輝くときは道長が影で支えてくれる。そういった意味では、まひろにとって道長の存在は、「どんな関係になりたいのか」ということを超越した生きがいであり、この世に生きる理由なのかもしれません。
-それでは、まひろの娘・賢子が夫・宣孝(佐々木蔵之介)の子ではなく、道長の子だったという衝撃的な展開については、どう受け止めましたか。
人間だから、そういうこともあるだろうな…という印象です。現代のルールに照らせば、「不倫」として批判されることかもしれません。確かにそういうルールは、みんなが平穏に暮らす上では必要なものですが、そこにとらわれ過ぎ、感性の豊かさが損なわれている一面もあると思うんです。だからと言って不倫を勧めるわけではありませんが(笑)、感性が先行していた時代のこととして考えれば、美しいことだとも思います。
-撮影が進む中で、まひろ役にどんな手応えを感じていますか。
出演発表から2年以上経ちますが、一つの作品にこれだけ長く携わる機会はほかにありません。大人になると、生まれて初めての経験も少なくなる中で今回、こういう機会をいただき、ありがたく思いながら、初めての一歩を今も継続中です。「自分が紫式部」という実感は今もありませんが、「パープルちゃん」として皆さんに愛されるキャラクターになれば、と思いながら演じています。
-長期にわたる撮影の中で、ご自身の成長を実感する部分も?
自分の成長を実感しているのは、「書」です。クランクインの半年以上前から練習してきましたが、初登場の第二回で書いた文字は、今見ると目も当てられないありさまで(苦笑)。でも、それだけ上達した証なのかなと。むしろ、今となっては利き手の左手で筆を持つ方が難しいくらいです。向き合った時間の分だけ、きちんと応えてくれるものだなと実感しています。
-それだけ練習を積んできたと?
本来、書は30~40分くらい稽古して、ようやく線が安定するものなんです。ただし、現場ではそこまで時間をかけられないので、本番前の10分くらいで仕上げなければいけません。にもかかわらず、本番はまるで、合格するかどうか、公開でテストを受けるような感覚。だから、おびえながらやっています(苦笑)。それを乗り越えるには、自宅でコツコツ練習するしかなくて。でも、撮影はあっという間に終わるのに、自宅での練習は時間がかかり、とても孤独な作業なんですよね(笑)。
-まひろ役に懸ける思いが伝わってくるお話です。それでは最後に、これからのまひろについて教えてください。
これからまひろは、娘の賢子との向き合い方に悩まされることになります。かつての父上と自分の関係性を、まひろが賢子と繰り返してしまうようなところもあって。母親になった経験のない私にとって、母親役の難しさを実感しているところです。とはいえ、思春期の娘とぶつかり合ったり、仲良くなったりする家族のリアルな距離感が面白く、自分の知っている母娘の姿から想像しつつ、探りながら演じているところです。さらに今後は、作家としての生みの苦しみも出てくるので、ぜひ、まひろの第2章に注目してください。
(取材・文/井上健一)