
-ここで改めて、松平武元を演じる上で心掛けたことを教えてください。
武元は、3代の将軍に仕えた人物なので、“コテコテの徳川派”という雰囲気を出そうと考えていました。つまり、太平の世を守るため、江戸幕府を開いた徳川家康のやり方を継承していくことが自分の仕事だと信じている。それに対して、経済を貨幣本位に移行すべきだという新しい考えの持ち主が意次です。そんな意次と相対する古い人間であることを印象付けるため、手を動かす、刀や扇子を使う、といった軽々しい動きは控え、どっしりとした雰囲気を出すことを心がけました。せりふも、歯切れよくしゃべるのではなく、なんとなく流れていくような言い方で、古さを表現できればと。
-細かいところまで気を配られたわけですね。
ただ、第15回で意次と対面する場面は、それまでと違って幕府という公の場ではなく、武元の屋敷だったので、手や体を使ってお芝居してみました。
-武元のトレードマークともいえる大きな眉毛は、どのようにして生まれたのでしょうか。
台本を読んでみたら「あの白眉毛が」などと言われているわけです。ならば、それにふさわしいものをつける必要があるのでは、という話になり、チーフ演出の大原拓さんも、「大胆にやった方がいいです」とおっしゃるので、かつら担当の方に大きな眉毛を作っていただきました。ただ、最初にテストで着けてみたら、大きすぎて前が見えなかったんです(苦笑)。それを少しずつ調整しながら短く切っていき、出来上がりました。
-そのかいあって、強く印象に残りました。
最初に現場で撮影した映像を見たときは、「やや大げさかな…?」と感じたのですが、不思議なもので、使っているうちにそういう違和感もなくなってくるんです。今となっては懐かしいくらいで、記念にいただいておこうと思います(笑)。
-その眉毛に関する撮影時のエピソードはありますか。
第6回で日光社参を巡って話し合ったとき、武元が「田沼のご家中は、馬には乗れるのか?」と足軽上がりの田沼家をからかう場面がありました。このとき、「高家吉良様よろしく、ご指南願えればと存じまする」と忠臣蔵になぞらえてうまく返した意次に対して、武元は「これは一本取られたのう」と答えたのですが、実はあのとき、「一本」にかけて、眉毛を一本抜いたんです。監督が面白がってくれて、アップでも撮ったのですが、アップはカットされてしまい、一本損しました(笑)。
-松平武元は第15回で亡くなりましたが、これまで主演を含め、大河ドラマに何度も出演してきた石坂さんにとって、大河ドラマとはどんな存在でしょうか。
僕が「天と地と」(69)で初めて大河ドラマに主演したとき、当時お世話になった作家の菊田一夫先生から「大河ドラマは大変だよ。1年やれるかね?」とさんざん脅されたことをよく覚えています(笑)。確かに大変でしたが、その分、お芝居について多くのことを勉強させていただきました。ほかではできない経験で、言ってみれば“大河学校”に留学したような気分でした。
-やはり大河ドラマは特別なのですね。
ただ、大河ドラマで歴史上の人物を演じると、いくらテレビドラマとは言っても、責任が生じます。例えば、今回の田沼意次のように、今まで言われてきた“賄賂政治”の象徴のような悪役ではなかった、という描き方になれば、地元の方が喜んでくださるわけですから。そういう責任感を持って演じないといけないね、という話は謙さんともしていました。
-数多くの大河ドラマを経験した石坂さんならではのお話です。
その一方で、今回うれしかったのは、松平武元が今までテレビドラマや映画に登場する機会が少なく、あまり知られていない人物だったことです。そこにやりがいを感じました。そんなふうに、歴史上の人物には、時代と共に新しい解釈が生まれ、新たな人物にスポットが当たっていきます。だから今後も機会があれば、歴史上の人物を演じてみたいですね。
(取材・文/井上健一)
