子どもたちに夢と安心を届けてきた子供服メーカーのミキハウス。その舞台は今、世界へと広がっている。
▼ミキハウスの海外展開

1979年にアメリカの百貨店サックス・フィフス・アベニューへの出店を皮切りに、1987年にはパリに海外第1号となる直営店をオープン。2010年にニューヨーク、2013年にロンドンに進出し、欧米を中心に店舗を広げてきた。転機となったのは、2010年の上海万博だ。
グローバル事業部長・竹田欣克さんは、「上海万博の日本産業館にブースを設け、6カ月間で100万人が来場。それまで中国のお客様はほとんどいなかったのですが、一気に増えた」と説明する。
そこから中国での出店が相次ぎ、コロナ禍でも店舗数が増加。2025年9月現在、海外107店舗のうち70店舗が中国にある。
▼八尾本社で行われる年2回の展示会

ミキハウスには、年に二度の特別な日がある。2025年9月、大阪・八尾の本社には、国内はもちろん海外の店舗からも店長やオーナーが続々と集まっていた。世界各地でブランドを支える人々が一堂に会するのは、年に二度開かれる商品の受注会だ。
グローバル事業部長・竹田欣克さんは、現場のこだわりをこう説明する。
「オンラインでオーダーできる時代ですが、ここでは世界観を学んでほしいという思いがあり、来場することに大変こだわっています。ビジネスを行う上で、生産者の話やマーケティング担当者の話など、背景にあるものを知っていただくことがとても大事。これは、実際に来ていただかないと分からないことです」。
ミキハウスで働いて28年目のソニア・メスレムさんは、ヨーロッパの旗艦店のパリ・サントノーレ店の店長を務めている。
「たまたま素敵なディスプレイに目を奪われ、ドアにはショップアシスタント募集のチラシが貼ってあって、そこから物語が始まりました。私にとってミキハウスは“子ども服のシャネル”。ラグジュアリーブランドでありながら、他ブランドとは異なり、西洋と日本の伝統的な要素が融合している。ヨーロッパでは“日本製”というだけで特別な価値があり、生涯にわたるラグジュアリーの象徴と受け取られます。
日本に行くことは、私にとってとても大切。新しいコレクションを選ぶためだけでなく、日本と木村社長ならではのユニークなエネルギーに触れるために訪れているのです」。
中国・成都午上貿易有限会社の代表である劉玉玲(リュウ・ギョクレイ)さんは、子育て中のママ。2015年の訪日時にミキハウスと出会った。3店舗のオーナーを務めており、展示会後の10月にさらに1店舗をオープンした。
「新米ママだった当時、最高のものを自分の赤ちゃんに与えたいと強く思っていました。まだ歩けなかった頃、日本を旅行中に初めてミキハウスのシューズを購入。その夜、支えなしで初めて歩いたんです。あの瞬間の感動は忘れられません。
展示会を通じて、本社やパートナーと交流しながら多くを学んでいます。新しいデザイン理念や、半年から一年ごとのブランドの変化も感じ取ることができます。そうすることで、お客様により良く伝え、店舗をより良くできています。多くのブランドは母親のニーズに焦点を当てますが、ミキハウスは子どもの誕生から成長を見守り、子どもが何を望むかを大切にしていると感じます」。
▼思いを一つに、日本と世界をつなぐ仲間たち

海外の店長やオーナーを支えるのは、グローバル事業部のスタッフだ。多国籍メンバーが、それぞれの地域の店舗を担当し、現地の文化や価値観を理解しながらブランドの世界観を伝えている。
イタリア出身のパッサレッラ・アレッサンドロさんは、欧州担当エリアマネージャーを任されソニアさんと仕事をするようになった。
「展示会に来る“パリの幻の店長”だと思って遠目に見ていましたが、密にコミュニケーションを取るようになり、この人はすごいと思うように。彼女のおかげで、ヨーロッパの高級ブランド市場をより深く理解できました」。
中国・成都の劉玉玲さんと協働するのは、中国出身の黄越(コウ・エツ)さんと楊雯(ヨウ・ムン)さん。「中国・成都の劉玉玲さんは、移動中などでも熱心にお店の話や店舗運営の話をされていて、学ぶべきことがたくさんありました」と振り返る。
彼らにとって、ミキハウスとは何か。
「自分の子ども」「ハピネス」「先生であり友人」「マイホーム」「ファミリー」「ご縁をつなぐ存在」――国や立場が異なっても、根底にある思いは共通している。
その信頼の輪の中心にいるのが、木村皓一社長だ。
「お互いに会いたいとなって、ビジネスがどんどん進みます。人間関係でビジネスをしていく。その裏にはメイド・イン・ジャパンの素晴らしい品質があり、信頼関係がある。そんな感じでやっています。頑張れメイド・イン・ジャパンです」。
大阪・八尾から世界へ。文化を越え、人を結ぶその歩みは、これからも続いて一句のだろう。









