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ユズとモネのまち 北川村で暮らす移住者たち

ユズとモネのまち 北川村で暮らす移住者たち

 

 高知県東部に位置する北川村は、人口1200人ほどの小さな村だ。四国山地を背にした標高412メートルの山間地で、気候は温暖多雨。昼夜の気温差もあってユズの栽培に適しており、日本有数のユズの産地だ。現在の栽培面積は100ヘクタール以上。村全体でユズを育てるようになったのは、坂本龍馬の盟友・中岡慎太郎が村民に栽培を奨励したからという逸話が残る。

 

坂本龍馬の盟友・中岡慎太郎像

 

◼️クマがいないところ

北川村に移住した中里夫妻

 中里夫妻は、2022年に農業研修生として秋田から移住してきた。趣味の川釣り中にクマに何度か遭遇したという雄さんは、「クマがいないところ」を条件に移住先を検討した。
「もともと横浜の出身。小さい頃から自然が豊かなところに引かれていました。北川村を選んだ理由は、好きなものを育てたかったのと、かんきつがすごく好きなこと。奈半利(なはり)川のアユにも引かれました」。
 安芸郡馬路村を水源とし、太平洋に注ぐ豊富な水量の奈半利川は、天然アユの釣り場として知られる。ここでとれるアユは、2022年に「清流めぐり利き鮎会」のグランプリにも選ばれている。

 

奈半利川の清流(提供:北川村観光協会)
奈半利川のアユ(提供:北川村観光協会)

 移住コンシェルジュの働きかけにも後押しされた。「役場の人の対応がすごいウェルカム。子育て支援も充実していて、決め手になりました」
 夫婦の相談に乗ってきたのは、北川村役場の産業政策課に所属する中村理恵さんだ。
「皆さんに言うのは、1回おいで。1回来たら2回もおいで。3回来るときには定住の覚悟でおいで(笑)。息子と同い年だから、子どもとお嫁さんみたいな感覚」
夫妻の出産を待ちわび、二人の間に生まれた娘を孫のように世話している。実家が遠方の夫妻にとって、北川村の「おばあちゃん」だ。
 「よそから、この何にもない村に来てくれる。村の良さがわかって定住してくれる。そういう子たちを大事にしたいし、いつまでも見ておりたいし。私の生きがいですね」

 

北川村役場・産業政策課の中村理恵さん

 

 「農業は1回も携わったことなかったんで、ゼロからのスタートでした」
 中里夫妻は、地域おこし協力隊の隊員としてユズ農家で研修中だ。1月から春までは木の剪定(せんてい)を行い、秋までは消毒と草刈りをし、合間に肥料をやる。12月初旬までは昼間に収穫し、日没後は選別作業を行う。いずれユズ農家として独立するつもりだ。
 もちろん、生活の中でもユズは大活躍している。「万能調味料じゃないですけど、何にでも使えますね。自分は釣ったアユにかけたりもしますし、うどんにそのまま果汁をかけてもいいし、皮を刻んで入れてもいい」

 

ユズ畑(提供:北川村観光協会)

 

 無縁の土地だったが、住民たちに温かく見守られながら今に至る。「本当に全員が優しい。隣の人や役場の人がいろいろお世話してくれたので、何とかやってきました」。「行くたびに娘の写真を撮って家に飾ってくれる」というのは、ユズ畑を夫妻に貸している農家のこと。「みんな」に愛されながら、娘は2歳になった。
 「常にお日様が出ていて気持ちが前向きになります」。居心地の良さの理由には「気候の違い」もある。全国で最も晴天日数が少なく豪雪の秋田と比べて、「冬がすごく過ごしやすい」と実感を込めて話すのは、東北出身の由紀さんだ。

 移住から丸2年。今思うことを率直に聞いてみた。「食べ物屋にしろお店にしろ、横浜市にはたくさんあるんですけど、何か縛られてる感じがする、仕事も。それに比べて、こういうところで生活していると自由を感じられる」
 夫について来た形の由紀さんも満足している。「人生がガラッと変わるから、いい刺激になります」

 

◼️母の故郷で表現活動

 北川村のもう一つの名物は、印象派の画家クロード・モネの庭を再現した「北川村“モネの庭”マルモッタン」。モネが「睡蓮」などの多くの名作を生み出す舞台となったフランス北部のジヴェルニーの庭園以外に、クロード・モネ財団に「モネ」の名を公式に冠することを認められた唯一の庭園だ。

 

北川村“モネの庭”マルモッタン

 「北川村“モネの庭”マルモッタン」で会ったのは、2021年に大阪から移住してきた長友美智子さん。  元音楽教師で、直近では耐震構造設計事務所に勤務していた。
 「40歳を過ぎて先のこともいろいろ考えるようになって。チャレンジするんだったら今がギリギリかなって」

北川村に移住してきた長友美智子さん

 母が高知県東部の出身だったことから北川村に目が留まった。「物心ついたときからおばあちゃんが“ゆのす”を送ってきていたんです。家の中にユズの味があるのが当たり前だったので、ユズを北川村がどう育てているのか、そんなにユズを推してるのって何なんやろうってすごい興味がありました」

 

北川村のゆのす(提供:北川村観光協会)

 

 表現者としても活動していた長友さんは、地域おこし協力隊の中でも、自分でミッションを考え提案するフリーミッション型に応募した。
 「地域の方とのつながりができてから仕事が出てくるのがフリーミッション型の面白いところ。記事を書いたり地域の方が大切にされているものの魅力を地域外に伝え、関係人口が流れるきっかけ作りをやりたかった」

 

中岡慎太郎館の前で行った音楽イベント
中岡慎太郎館の前で行った音楽イベント

 

 

 「この村って信号もないんです」。当たり前だと思っているものが「当たり前じゃないこと」を知った時は衝撃的だった。
 移住して特に大きく変わったのは時間の感覚だ。「食べるところも限られてて、ここでガチャガチャすることがないんですね。常に穏やかで、ゆったりした時間が流れている村なので、外から入ってきた自分は、時間の流れがゆっくりになって、毎日分刻みで動いていたのがなくなりました」
  人との距離感も変わった。仲良くなった住民からは「あんたのお母ちゃんやで」とよく言われるという。
「温かい方が非常に多くて、血はつながっていないお母さん、お父さんみたい。すごく心配してくれるし、すごく気にかけてくれる」

 地域おこし協力隊の任期を終え、今後取り組んでいきたいのは、住民たちと関わる中で生まれた音楽療法活動だ。「地域の人が元気になって健康になって、それを音楽で興こしていけることをやっていきたい」
 ライフワークである表現者としての活動も広げていく。「音楽で知り合った人たちとのつながりを大事にしながら、イベントとかライブをやったり。いくつかの仕事を常に動かしながらか暮らしていきたいですね」

 

 

高齢者対象の音楽療法活動
いさゆき智の名前で行う音楽仲間とのライブ

 移住してからの3年間を振り返ると。
 「いいことばかりじゃないんですよ。でもいざっていう時に支えてくれる地域の人がいて、支えられて乗り越えられたこともたくさんあったので、今自分は帰らずにここにいるんだなと」
 自分が好きで楽しみながら、かつ人を笑顔にできる生業も見つけた。「そういうのって都会では見つけられなかった部分だと思います」