
5月25日にアメリカは、日本について「渡航中止を勧告する」と表明した。この最も厳しい基準の対象国・地域は150に上る。アメリカ国民の健康を守るための措置である。
それでも日米両国は五輪に影響がないという。奇妙な理屈だが、五輪参加国と「渡航中止」勧告の対象国は重なるから、東京五輪はそんな感染リスクのある国が集まる〝祭り〟となる。
なぜ、これほどまでに五輪開催にこだわるのだろうか。菅義偉首相は開催の権限は自分にはなく、国際オリンピック委員会(IOC)および組織委員会が決めることと責任転嫁している。しかし、誰がどう見ても、先頭を切って五輪にまい進しているのは菅首相だろう。
首相の陣頭指揮でワクチン接種は少しずつ進み始めた。その一方で休業などを求められている事業者への補助金・協力金の支給は何カ月も遅れ、多くの事業者の手元に届いていない。あれほど経済が大事と言っていたにしては手抜かりばかりのままで、ひたすら感染防止による五輪開催に突っ走っている。
開催できれば経済的効果が大きいことは予測できるが、開催によってコロナ感染が拡大し、収束に時間がかかれば、それ以上に大きな経済的な損失が発生するという専門家の予測も公表されている。だから、この両面を考慮したきちっとした説明が必要であろう。そうした説明もせずに旗を振るだけでは、国民の納得は得られない。
五輪を目標に頑張っているアスリートたちのことを考えるとぜひとも開催したいという意見もある。アスリートたちの複雑な気持ちは理解できるし、できればその活躍を見たいと思う。 しかし、「一生に一度」訪れるかどうか分からない晴れ舞台をつぶせないという理屈には道理がなく、同意できない。
昨年の春にも、今年の春にも、入学式や卒業式は感染症のためにほとんどが中止された。成人式の開催も例年のようにはいかなかった。それぞれの場で学業に励み、卒業の日を迎えた人たち、あるいは、難関の入学試験のための準備を重ねて入学を勝ち得た人たちの晴れ舞台になるはずだった。
そうした児童・生徒・学生たちの一生に一度の機会を、感染対策のためという大義名分でことごとく奪ってきたのではなかったか。アスリートの機会はつぶしてはいけないが、それ以外の人たちのことは感染対策を優先するというのは筋が通らない。これからの日本への貢献を期待される若い世代であることには違いはなく、その間に不公平などがあっては、民主国家として恥ずかしい。
五輪は「不要」とは思わないが「不急」だろう。世論調査は開催反対が大勢を占めているが、菅首相には「さざ波」くらいにしか感じないのだろう。この無神経さは救いがたい。
(東京大名誉教授 武田 晴人)
(KyodoWeekly6月7日号から転載)