囚人たちがそぞろ歩くフィリピンの「塀の中」

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モンテンルパ刑務所の正面玄関(筆者撮影)

 最近、刑務所で受刑者たちが作る刑務所作業製品についての取材をした。

 日本全国にある刑事施設は現在、75施設で、約4万4千人(2018年末現在)が収監されている。そこでは日々、財布、革靴、便箋、洗剤などの日用品、椅子や本棚などの家具、さらには伝統工芸を施した湯飲みまで製作されている。その数約1千品目。富山刑務所ではみこしが受刑者の手で製作され、プロ顔負けのその細やかな仕事に、感心した。

 監獄でそうした所定の作業を科す刑罰のことを「懲役」と呼ぶが、米国や英国などの先進国では刑務作業は科されておらず、実は世界的には珍しい。

 この取材の最中に思い出したのが、私がかつて新聞記者として働いたフィリピンで通った、モンテンルパ刑務所である。首都マニラ南部に位置し、終戦後に戦犯として裁かれた旧日本兵が収監されたことでも知られる。

 私がいた当時、モンテンルパ刑務所には受刑者が約2万人いた。そのうち日本人は約10人で、全員中高年の男性。罪名は、詐欺、職業違法斡旋や覚せい剤所持など。 面会は日本と同じく面会室で行われるのだが、顔見知りになった当時60代の日本人男性から、「面会室だと都合が悪いので、水谷さんを私の親族に登録しておきました。これで刑務所の中まで出入りできます」と伝えられ、勝手に親族にされてしまった。正直、戸惑いはしたが、これで私は塀の中の事情を知るための「特権」を得ることができた。

 そこで目の当たりにした光景は、日本の常識をことごとく覆されるものだった。刑務所は塀に囲まれているが、敷地内では、オレンジ色の囚人服を着た受刑者たちがそぞろ歩いていた。殺人犯や薬物常習犯がそこら中にうようよいる。刑務作業などないため、皆、雑居房を出て外で休憩したり、カフェで食事したり、あるいはテニスコートで遊んでいるのだ。

 そこには村社会が広がっていた。受刑者はそれぞれ、出身地ごとにギャング集団を形成し、互いに勢力争いを繰り広げていた。

 政治家や麻薬王などの「大物」は資金力があるため、刑務官に便宜を図ってもらい、エアコン付きの1人部屋をあてがわれ、VIP待遇を受けた。

 そんな環境の中で、日本人受刑者たちもまた、親族や友人から差し入れをもらい、しのぎを削っていた。外部からの援助がないと、中の売店で買いたい物も買えず、いわゆる「くさい飯」だけの生活になってしまうのだ。

 私も前述の男性から塀の中の事情について話を聞くため、タバコなどの差し入れをし、たまにペソ札を握らせた。

 最後に彼に会ったのは10年ほど前。白髪が増えてすっかり老けてしまったが、今生きていたら70歳を超えている。娑婆には出られただろうか。

ノンフィクションライター 水谷 竹秀

 

(KyodoWeekly9月20日号から転載)