2017年2月26日(日本時間27日)、米ハリウッドで第89回アカデミー賞の授賞式が行われ、アイデンティティーを模索する黒人少年の成長を描いた「ムーンライト」が作品賞などに輝いた。外国語映画賞は、イランなど7カ国からの入国を禁じる大統領令に抗議して授賞式を欠席したイランのアスガー・ファルハディ監督の「セールスマン」が受賞した。加えて、司会者のコメントや受賞者のスピーチで、トランプ大統領への皮肉や懸念の声が数多く発せられるなど、政治色の濃い式典となった。
日本の授賞式とは違う
アカデミー賞のノミネートは、授賞式の前年にロサンゼルス郡内の映画館で連続7日以上、有料で公開された映画が対象となるだけに、今回のノミネートもトランプ政権の政策と直接的には関係がない。むしろ、前回(2015年度)の候補者が白人俳優に限られ、「白過ぎるオスカー」とやゆされたことが、強く影響を与えたと見るべきだろう。
投票の結果、ほぼ黒人しか登場しない「ムーンライト」のマハーシャラ・アリと、同じく黒人問題を描いた「フェンス」のヴィオラ・デイヴィスがともに助演賞を受賞した。もともとアカデミー賞は、候補者の選定における人種や国籍の偏向に対する批判に過度に反応し、是正する傾向があるのだが、今回はそれに加えて、移民や性的少数者らへの排他的な政策を進めるトランプ大統領の就任と授賞式の開催が、そう遠くない時期に行われたことが投票に影響を与えたのかもしれない。
ところで、アカデミー賞の受賞結果やスピーチが、時の政治や社会情勢の影響を色濃く反映するのは今に始まったことではない。欧米の映画人はオピニオンリーダーとしての立場を自覚し、自らの主義主張を積極的に発言する傾向がある。また授賞式の様子は世界中に中継されるため、それを利用して会場外で政治的なデモが行われたりもする。その点が、日本の映画賞の授賞式とは大きく異なるのだが、それ故、過去の授賞式を振り返ると、それぞれの時代に沿ったアメリカ社会の側面を垣間見ることができよう。
今から半世紀前の第40回(1967年度)は、4日前に暗殺された公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師の葬儀のため、授賞式が2日間延期された。そんな中、作品賞を獲得したのは、黒人俳優のシドニー・ポワチエが主演し、人種差別問題を描いた「夜の大捜査線」だった。
続く第42 回(69年度)では、前年、ベトナム戦争を肯定的に描いた「グリーンベレー」を監督、主演したジョン・ウェインが「勇気ある追跡」で主演男優賞を受賞した。だが会場前ではベトナム戦争に抗議するデモが行われ、「ジョン・ウェインは人種差別主義者である」というプラカードを掲げる者もいた。そのウェインが最後に公の場に姿を見せたのは第51回(78年度)の授賞式。作品賞のプレゼンターとして、皮肉にもベトナム戦争を痛烈に批判した「ディア・ハンター」にオスカー像を授与している。
受賞スピーチが物議を醸した例も少なくない。第45回(72年度)の主演男優賞には「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドが選ばれたが、彼はこれを拒否。授賞式にはインディアンの女性が現れ、「ハリウッドがこれまでインディアンを悪者として扱ってきたことに抗議して受賞は断る」というブランドのメッセージを代読した。
また、「ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実」で第47回(74年度)の長編ドキュメンタリー賞を受賞したプロデューサーのバート・シュナイダーは、ベトナム和平協定に感謝するパリ和平団団長の電文を読み上げた。司会のフランク・シナトラは慌てて「アカデミーは一切の政治的配慮を除外しているので、このたびの不祥事をおわびします」という声明を発表したが、この出来事は、授賞式での政治論争の是非を問う社会問題にまで発展した。
「ジュリア」で第50回(77年度)の助演女優賞を受賞した英国人のバネッサ・レッドグレーブは「反ユダヤ主義を貫いた人々に敬意を表したい」とパレスチナ解放戦線への支持を堂々と表明し、会場は騒然となった。ハリウッド映画界にはユダヤ系の人々が多いこともあり、以後、彼女はアメリカへの入国を禁止され、この回以降、受賞スピーチに政治的なメッセージを盛り込むことが原則として禁止された。
多様性で面目を施す
だがこうした「アカデミー賞は政治的側面には一切関与しない」という建前が、逆に人々を刺激することもある。その端的な例が、「欲望という名の電車」「波止場」「エデンの東」など、数々の名作を監督したエリア・カザンに名誉賞が贈られた第71回(98年度)だろう。
会場に現れた90歳の老匠に対して、半数近くの人々が明らかに不快な表情を浮かべ、起立をせずに拒否の姿勢を示すという異常な光景が広がった。カザンは赤狩りの時代に仲間の名前を売って密告者となったが、半世紀を超えた当時もそれを許さぬ人々が数多く存在したのだ。会場外でも授与支持派と反対派の双方がデモを行う姿が見られた。
このようにハリウッドは、さまざまな主義主張を持った、多彩な人種が映画を通して集う特殊な共同体である。それ故、そこには必然的に“多様性”が生まれる。今回のアカデミー賞も、娯楽色の強い「ラ・ラ・ランド」とメッセージ性のある「ムーンライト」が並んで賞を争ったことで、ハリウッドは面目を施したと言えるのではないだろうか。
(映画ライター 田中 雄二)