戦前から終戦直後にかけての広島と呉を舞台にしたアニメーション映画「この世界の片隅に」が大ヒットを記録している。昨年11月12日の初公開時は、わずか63館にすぎなかった上映館が、1月29日現在、累計で200館を超え、興行収入は17億3800万円、累計観客動員数は132万2千を突破した。キネマ旬報ベストテンでは、アニメ映画としては「となりのトトロ」(1988年)以来2度目となる邦画の1位となり、片渕須直監督はアニメ映画では初の監督賞を受賞した。異例ともいえる高評価やヒットの要因を探ってみた。(敬称略)
日常生活に重点
太平洋戦争末期の昭和19(1944)年。18歳のすず(声=能年玲奈改め、のん)は、広島から軍港の町・呉の北條家に嫁ぐ。見知らぬ土地で明るくけなげに生きる彼女の姿を中心に描いた本作は、広島出身のこうの史代の漫画を原作に、片渕監督が6年の歳月をかけて製作した。
脚本も兼任した片渕監督が「戦争が対極にあるので、毎日の生活を平然と送ることの素晴らしさが浮かび上がってくる」と語るように、本作はあくまでも日常に重点を置き、衣食住はもちろん、当時の人々の生活の細部を実に丁寧に描いている。それ故、観客は戦中という時代が決して特別なものではなく、現代と同じように日々の生活が営まれていたことが実感できるのだ。そんな本作に、小津安二郎や成瀬巳喜男といったかつての名監督たちが描いた淡々とした日常風景を重ねて見る年配の観客も多いと聞く。
ところで、戦争を描いた映画を見る観客の中には、声高に反戦を叫んだり、恐ろしい戦闘シーンや傷ついた人々の悲惨な姿を直接的に見せられると、反発を覚えたり、忌避したりする者も少なくない。だが本作は、すずが過ごす日常の延長線上に戦争や原爆を描いているため、容易に感情移入をすることができる。さらに、戦時下という特殊な背景を持った遠い過去の物語であるにもかかわらず、すずの人間的な成長を軸にして描いているので、今の若者たちも身近な物語として捉え、共感することができたようだ。
原作のイメージ通り
加えて、本作の特筆すべき点として、幾つもの川に囲まれた水の都・広島のにぎやかな商店街、戦艦大和や武蔵が行き交う呉の港などの失われた風景を、精緻なアニメ画で再現したことが挙げられる。
中でも、すずがスケッチ画で描く広島県産業奨励館は、現在では原爆ドームとして残されているため、強く印象に残る。筆者も広島には何度か訪れたことがあるので感慨深いものがあった。ちなみに「君の名は。」同様、映画の舞台となった広島や呉の各地を訪れる“聖地巡礼”も盛んに行われているという。
また、アニメの効用という点では、登場人物の性格づけとも大きく関係する“見た目”の問題にも好影響があった。実は「この世界の片隅に」は、2011年にテレビドラマ版が制作され、北川景子がすずを演じたのだが、少しおっちょこちょいでどこかのんびりとした性格が魅力のすずのイメージには遠かった。その点、本作の一見風変わりなキャラクター画とのんの声は、ほぼ原作のイメージ通りだったといえるだろう。
広島弁といえば、これまでは「仁義なき戦い」などによって、きつい言葉というイメージがあったがのんが語るすずの言葉を聞くと、実は柔らかくて温かみを感じるような、豊かな表現力を持った方言なのだと気付かされた。すずをスパイと間違える憲兵のエピソードなど、適度なユーモアを感じさせるシーンも、いいアクセントだ。
戦争描く新たな道
ところで、邦画製作の現状は、極端に言えば、テレビ局や大手広告代理店がメインとなって作る大作と、スタッフが私費を投じて作るような独立系の小品に大別される。その意味では、売れっ子プロデューサーの川村元気が手掛け、大手の東宝が配給した「君の名は。」と、インターネット経由で製作資金の提供を請うクラウドファンディングを利用して製作された本作との違いは象徴的だ。
とは言え、「君の名は。」との相乗効果も本作の大ヒットの要因の一つであるところが面白い。普段はあまりアニメ映画を見ない観客層が「君の名は。」を見た余勢を駆って本作も見たというケースが少なくないからだ。そして「これもいいじゃないか!」と思った彼ら、彼女らが、口コミや会員制交流サイト(SNS)で評判を広げていった。「君の名は。」のヒットを支えた若者たちに代わって、本作は中高年が支えているのだという。
ときに本作は、すずと夫の周作が広島の焼け跡で見つけた孤児の少女を、家に連れて帰るところで終わるのだが、エンドクレジットに重なって、少女が北條家に温かく迎えられ、成長していく様子が映る。このシーンを加えることで「この世界の片隅に、自分の居場所がきっとある」という前向きなメッセージをより鮮明に発信することに成功している。
これまで戦争を描いたアニメ映画は、孤児となった兄妹が餓死する「火垂るの墓」(1988年)のように、戦争がもたらす不幸や絶望を強調して描いてきた。もちろん本作にも、米軍が投下した時限爆弾でめいの晴美の命と自分の右手を同時に失うすずの姿や、広島や呉の惨禍が描かれる。
だがそれにも増して、さまざまなものを失いながら、それでも生きていく人間の強さや希望を見せることで、戦争を描く新たな道を示したとも言えるだろう。だからこそ、冒頭に流れるコトリンゴの「悲しくてやりきれない」が、映画を見終わると「けれども私は生きていく」という反意を伴って、改めてわれわれの心に響くのだ。
(映画ライター 田中 雄二)