
明治大学特任教授
2024年米大統領選は、激戦7州を全て共和党候補のトランプ氏が独占する圧勝で終わった。「大接戦、未曽有の分断」と伝えられてきたのだが、動きの早いこの国を正確に捉えるのがいかに難しいかという現実を浮き彫りにした。国際秩序を重んじる民主党バイデン政権からアメリカファースト(米国第一主義)をかつてなく鮮明にするトランプ政権への交代で、世界は混乱の時代へ突入した。台湾防衛への熱意のなさを見た習近平・中国国家首席が侵攻にゴーサインを出す恐れが大きい。
インフレに怒り
トランプ氏の勝因は三つある。一つはバイデン政権がインフレを鎮められなかったことに象徴される経済問題だ。経済成長、失業率の低さなどマクロ指標を取り上げ「米経済は絶好調」と言い続けるバイデン氏は、インフレにあえぐ有権者の怒りを募らせた。国民が経済に不満を持てば、政権党は敗北する。民主党大統領候補のハリス氏は黒人女性として変革のイメージを打ち出そうとしたが、副大統領だけに現政権の失政の汚点を拭えなかった。
次はハリス氏の資質だ。気の毒なのはバイデン氏撤退で昇格した、いわば「サラリーマンの人事異動でポストが回ってきた」ような候補だったこと。プロレスにも例えられる大統領選を、死に物狂いで勝ち上がってきたダイナミズムがなかった。
国民に広く人物を知ってもらう党の予備選を経ておらず、投票直前の世論調査でも3割がハリス氏についてもっと知りたいと答え、依然「正体不明」の人物だった。負の象徴となったバイデン氏は上司だけに、明確に否定して新風を吹かせるという良い意味での裏切りもできなかった。
トランプ連合の将来は
三つ目の理由は、インテリが中心となって進めた少数派や移民の権利擁護の動きへの不満だ。トランプ氏は演説で「公的な場で女性を美しいとも呼べない米国」を揶揄(やゆ)してきた。不快感を生む可能性のある行為を禁じる「政治的公正」が絶対視され、社会が窮屈になったとの指摘だ。
黒人ら人種的少数派を大学入学で優遇する積極的差別是正措置が昨年の最高裁違憲判決で終了したように、白人男性に対する「逆差別」はおかしいという言論は活発だ。米国の歴史は少数派差別の是正・解消の歩みではあるが、歩みはあくまで主流派が受け入れられる緩やかなものであるべきだ、という主張は民主党穏健派も支持している。
今後注目すべきは「トランプ連合」とも呼ぶべき新たな票田の行方だ。これまでの白人男性労働者だけでなく、一部の女性、若者、ヒスパニック(中南米系)、黒人、そして高学歴層、富裕層にも支持を広げた。大恐慌時代に登場したフランクリン・ルーズベルト大統領が築き民主党が20年間大統領職を独占した「ルーズベルト連合」に匹敵する地殻変動だと指摘する声がある。
しかし、トランプ連合が長続きするかどうかは、ひとえに経済運営にかかっている。ルーズベルト連合は大胆な公共事業で失業者を救済し、同時に第2次世界大戦を勝利に導いた功績で続いた。
高関税の導入、低金利への誘導、財政拡張、減税の恒久化などのトランプ氏の政策は高インフレを招きそうだ。庶民生活が改善するどころか悪化すれば、トランプ連合はあっけなく瓦解(がかい)して民主党に政権を譲り渡すことになる。
誰のせい?
大統領だけでなく、上下両院も共和党に負けた民主党の痛手は大きい。最高裁も9人の判事のうち6人が保守派だから、トランプ共和党は米国の行政、立法、司法の3権全てを握った。
民主党は敗因をバイデン氏に押し付けている。もともと1期だけの大統領と宣言していたのだから、早期に勇退を表明していれば、知事や議員らが競い合う予備選が行われ、勝ち上がった候補は自信をもって選挙戦に臨めたという主張だ。結果としてハリス氏が党候補となったとしても、その迫力は違っていただろう。
民主党の有力者であるペロシ元下院議長は「多様性を大事にする価値観をはじめ民主党の進めてきた政策に間違いはなかった」と総括している。つまりバイデン氏の撤退の遅れとハリス氏の力不足という属人性に責任を負わせている。
だが、民主党の再生にはそれでは足りない。女性や若者、ヒスパニック、黒人ら民主党の金城湯池(きんじょうとうち)までトランプ共和党に食い込まれたのだから、ペロシ氏らによる長年の政策のまずさを抜きには考えられない。
響かない民主主義論争
民主党のこの選挙での看板は2点だった。トランプ〝独裁〟政権が民主主義を破壊するという「民主主義論争」と、共和党が女性の中絶の権利を奪うという「女性の自由」を巡る問題である。だが民主主義論争は抽象的で、共和党のインフレ退治の公約にはかなわない。
中絶問題は女性にとって極めて重要で、リベラル系メディアは中絶の権利を奪われた保守的な州に住む女性の悲劇を毎日のように伝えた。だが、ハリス氏は女性票の53%しか取れず、バイデン氏が2020年に獲得した57%より少なかった。
中絶問題は最高裁判決で州に決定が委ねられ、保守的な州も含めて過去2年間に6州で行われた住民投票では全て容認派が勝利している。大統領選で容認派であるハリス氏を選ばなくとも、住民投票で容認を勝ち取れる。インフレは大統領にしか対応できない政策であり、そちらの能力を有権者は優先した。
重要なのは、民主党が労働者や少数派の政党と自任しながらも、民主主義や多様性を過度に強調するあまりに、富裕層や余裕のあるエリートの政党とみられてしまったことだろう。民主主義など「贅沢(ぜいたく)な悩み」を語り、労働者の日々の苦境を理解していない、という断罪である。
トランプ氏が労働者救済で成果を生むとは思えないのだが、既成政治を破壊するという宣言は、これまでのエリート優先の政府を少しは変えてくれるとの希望を与えている。
ポッドキャストの世論
民主党とともに手痛い敗北を喫したのが、伝統的なリベラルメディアだ。「最後まで分からない大接戦」(ワシントン・ポスト紙の投票日朝刊見出し)といった予想が大きく外れたのは不正確な世論調査に起因するという。同時にこれらのメディアが抱くトランプ嫌いの心情ゆえに報道に希望が混じりこんでしまった。ジャーナリズムの本質が歪(ゆが)んだと言わざるを得ない。
激戦7州ではグラフにもある通り、トランプ氏は軒並み世論調査より2〜4ポイント多く票を獲得した。激戦州以外でも例えばフロリダ州の世論調査ではトランプ氏は5ポイントのリードだったが、実際は13ポイントもの大差をつけた。ニュージャージー州の調査ではハリス氏は20ポイントの差でリードしたが、結局10ポイントの票差だった。

メディアを敵視するトランプ派が世論調査に回答しない、さらには嘘(うそ)を答えてメディアを誤らせその権威を失墜させるという懲罰意識もあったと分析されている。今はネット調査が広がっているが、ネットで質問に答えるのは若者、高学歴、自宅で働ける環境の人々、つまり民主党支持の傾向が強い有権者だから、ハリス氏の数字が高く出てしまう。
今回多くの若者の票がトランプ氏に流れた理由の一つは、人気ポッドキャスターであるジョー・ローガン氏のトランプ氏支持表明という。コメディアンであり格闘技解説者であるローガン氏の番組にトランプ氏が出演し3時間対談したのが、決め手となった。この番組は世界で最も視聴されているポッドキャストとされ、特に若い男性の圧倒的な人気を誇る。
長時間対談をノーカットで配信するポッドキャストは、リベラルの主張に沿った形でニュースやオピニオンを伝えるメディアに飽き足らない若者を引き付けている。お仲間であるリベラルしか相手にしない今のメディアがトランプ氏圧勝を予想できなかったのは当然と言える。
エゴとねたみの新政権
第2期トランプ政権は始動が早い。20年大統領選で敗北した直後からこの日に備えて準備してきただけに、主要閣僚の人事を着々と進めている。米国をリベラルから保守の国に生まれ変わらせると革命意識をみなぎらせているという。
懸念は、トランプ氏が政策の歴史やノウハウを蓄積する官僚や軍人、専門家らを極端に嫌っていることだ。彼らは選挙の洗礼も経ずに政府に居座り政治家を言いくるめて政策遂行力を握り続けているという批判だ。こうした専門家集団を「ディープ・ステート(地下国家)」と呼んで敵視している。
次期政権では専門家の活躍は期待できない。例えば、第1期政権でトランプ氏が在韓米軍の撤退や北朝鮮好みの合意受け入れを言い出した時に、それを阻止したポンペオ前国務長官は早々と閣僚候補名簿から消えた。大統領首席補佐官だったケリー氏らにいたっては「ろくでもない軍人」と非難され、訴追など報復の対象と目されている。
実業家のイーロン・マスク氏や新型コロナウイルスのワクチンに反対する弁護士ロバート・ケネディ・ジュニア氏ら個性的でエゴが強い人物の起用で、足の引っ張り合いも起こるだろう。
国際枠組み骨抜きに
忠誠心を最優先にするトランプ人事では、同盟国からの信頼維持、中国やロシア政策のかじ取りで不安が拭えない。地球温暖化対策の「パリ協定」からの脱退など国連関係合意に背を向けるだけでなく、先進7カ国(G7)やアジア太平洋経済協力会議(APEC)、さらには北大西洋条約機構(NATO)の弱体化など、多国間枠組みの骨抜きに動くのではないか。第1期政権でもそうだったが、トランプ氏は米国が圧倒的に世界に君臨すべきだという発想で、他国と同列に扱われる国際会議が耐えられないのだ。
ウクライナ戦争の早期終結の模索はロシアを喜ばせる方向になるだろうし、中東では親イスラエル姿勢が一層加速しそうだ。焦点の中国政策は高関税導入で世界経済の混乱を招く。台湾防衛に熱心でないトランプ氏の再登場は中国にとって台湾侵攻の絶好のチャンスであろう。
トランプ氏の頭の中で日本は比較的好位置を占めているはずだ。だが、防衛費の大幅な増額要求や一定の対日関税の発動など厄介な政策が次々と繰り出されると覚悟しなければならない。実現不可能な要求もあるだろうが、あの手この手でトランプ氏の暴圧に耐えるしか手がない。
明治大学特任教授 杉田 弘毅(すぎた・ひろき) 共同通信テヘラン支局長、ワシントン支局長、論説委員長などを務め、2022年から現職。BS朝日「日曜スクープ」アンカー兼務。ロシアのプーチン大統領やブッシュ米大統領をインタビュー、英文コラムも執筆し、21年度日本記者クラブ賞受賞。著書は『アメリカはなぜ変われるのか』、『国際報道を問いなおす』(以上ちくま新書)、『アメリカの制裁外交』(岩波新書)など。
(Kyodo Weekly 2024年11月25日号より転載)