2009年4月4日、ニューヨークで「チェンジ・ビギンズ・ウィズイン」というタイトルのチャリティコンサートが開かれた。ビートルズの精神世界探求の師であった故マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの超越瞑想の普及を目的としたイベントであった。
シェリル・クロウやドノバンらと並び、リンゴ・スターとポール・マッカートニーもそれぞれ出演、フィナーレでは共演も果たした。
コンサートのハイライトとなったのが、ポールの作品で参加者一同で歌い上げられた「コスミカリー・コンシャス」であった。
1968年にビートルズの面々がインドに瞑想修行のために行った時にポールが書いた作品で、断片的なものではあったが、初出は93年のアルバム『オフ・ザ・グラウンド』まで待たなければならなかった。「さあ、ぼくと一緒に宇宙的意識になろうよ」という歌詞で、瞑想の目的が宇宙的意識との同化であるというマハリシの教えを歌にしたものだ。
ポールはマハリシの教えについて次のように語っていた。「瞑想することで、茎を下って活力の部分、つまり彼(マハリシ)が宇宙意識と呼ぶ栄養分に行き着くことが出来るというのだ。そこは至福の喜びと美しさに満ちている」(バリー・マイルズ著「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」ロッキング・オン刊)。
マハリシの超越瞑想を普及させリスクに常にさらされている人々のストレスの軽減やマネジメントを図ろうというデビッド・リンチ財団が同コンサートを主催した。超越瞑想の教育現場への導入のため約4億円の寄付が集まったという。
同財団のホームページにはビル・クリントン元米大統領らと並び、ポールもサポートの言葉を寄せている。俳優のクリント・イーストウッドも支持者の一人だ。
デビッド・リンチは『エレファントマン』などの作品で知られる映画監督である。
マハリシ言うところの「宇宙的意識」で思い出されるのが、禅の教えの中に出てくる「宇宙的無意識」(コスミック・アンコンシャス)である。
鈴木大拙著の「禅と日本文化」(岩波新書)によれば、「芸術的または宗教的生活の秘密を把握するために実在そのものに到達せんと思うときには、『宇宙的無意識』となすところのものを持たなければならぬ」という。そして「『宇宙的無意識』は創造性の原理、神の作業場であり、そこに宇宙の原動力が蔵せられる」と続ける。
禅の「悟り」というのは、「すべての創造能力がそこからわき出る『宇宙的無意識』への直覚だ。それは人間の心に備わり、芸術や宗教人の向上心、哲学者の研究心などの源である」と2016年11月19日付日本経済新聞夕刊で毛糠秀樹編集委員は書いた。
鈴木大拙は言う。「『宇宙的無意識』は価値の庫だ。すでに創られているか、または、創られることになっている価値物のいっさいはここに貯えられる。その深みへくぐって行って自分の体験の真珠を持ってくるには芸術家たることを要する――そしてまた、人は誰も一種の芸術家である」。
そして彼はこうも言う――「信仰(フェイス)は『無意識』への直覚の異名である」と。
マハリシが唱えポールが歌う「宇宙的意識」と禅でいうところの「宇宙的無意識」とは同一のものなのではないだろうか。
この疑問に対し、一般社団法人マハリシ総合教育研究所の鈴木志津夫代表理事は「全て同じである」という。鈴木氏によれば、ポールのいう「宇宙的意識」、禅の「宇宙的無意識」を、超越瞑想では「純粋意識」とも呼ぶのだという。
「普段ストレスで覆い隠されてしまっている人間本来の自愛、他の人への慈しみ、与える精神というものが超越瞑想によって表に出てくるのだ」と鈴木氏はいう。マハリシの教えは性善説に立っているのである。
(文・桑原亘之介)
桑原亘之介
kuwabara.konosuke
1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。