カルチャー

【スピリチュアル・ビートルズ】 思索を深める新世紀のポール 過去を振り返り、死をも見つめる心境からの再生

『NEW/ポール・マッカートニー』
『NEW/ポール・マッカートニー』

 2013年のポール・マッカートニーのアルバム『NEW(ニュー)』は、ポールが、過去を振り返りつつ、ポジティブに人生の今をとらえているものの、今でも神による救いを求めていることがうかがえる作品となっている。ポールは71歳だった。

 アルバムの冒頭を飾るのが「セイブ・アス」つまり「私たちを救っておくれ」という歌である。また「ホザンナ」(Hosanna)という歌もある。「ホザンナ」というのは「救いたまえ」という意味の「神を賛美する言葉」で聖書によるものである。

 「エヴリバディ・アウト・ゼア」では「神のご加護がなければ僕らもああなっていた」とし「別れを告げる前に善い行いをしよう」と歌っている。「ああなっていた」というのは自分よりも苦境にある人たちのことを指しているようにとれ、ああならなかったことを神に感謝せよと裏返せば言っているようである。

 ここで思い出すのが、84年のアフリカ難民救済のためのバンド・エイドによるチャリティーソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」という歌だ。その中に、飢餓により恐怖に陥り涙を流しているのが「あなた方でなく彼らであるということを、神に感謝しよう」(Tonight thank God it’s them instead of you)というくだりがある。

 この歌詞は論争を呼んだ。クリスマスに家族で楽しく食事をしている人たちがいる一方で、世界には飢えで苦しんでいる人々がいる。その状況を少しでも良い方向に変えたいというチャリティーであったことには疑問の余地はないのだが、神様が、苦難をあなた方の代わりに彼らにもっていってくれたことに感謝せよというのは、問題含みだったのである。普通なら、神様に飢えで苦しんでいる人たちを救ってください、というべきではないかと私なぞは思うからだ。

 話をポールのアルバムに戻そう。『NEW』の同名タイトルソングは彼の自負心から出た「再生宣言」ではないかと受け止めている。「私たちは好きなことが出来る。私たちは好きなように生きられる。何の保証もないけれど、私たちには失うものもない」とポジティブな歌詞が印象的だ。そして注目すべきは歌の途中まで「Then we were new」(その時、私たち=私たちの世界?は新しかった)とくるのだが、最後で「Now we are new」(今、私たちは新しい)と締めくくっているところである。

 そして「オン・マイ・ウェイ・トゥ・ワーク」や「アーリー・デイズ」では過去の自分をふりかえった。ポールが意識して過去をふりかえり始めたのは97年頃からで、2000年代に入り、それが顕著になっていくのである。

『フレイミング・パイ/ポール・マッカートニー』
『フレイミング・パイ/ポール・マッカートニー』

 97年発表のアルバム『フレイミング・パイ』は、妻リンダのがんとの闘病、古くからの友人であるリンゴ・スターの前妻モーリーンの死、アンソロジー・プロジェクトを通してビートルズ時代をあらためてふりかえった経験から生まれた一種の癒やし、つまりヒーリング・ミュージックであった。アンソロジー・プロジェクトで「ビートルズの楽曲の水準」にあらためて気づかされたというポールだが、アルバムの一曲目「ザ・ソング・ウィー・ワー・シンギング」では「最後はいつも歌いなれたあの歌に戻った」と歌った。

 「サムデイズ」では若かりし頃を振りかえった。タイトル曲「フレイミング・パイ」はジョン・レノンがビートルズというバンド名の由来を冗談まじりに語った言葉を思い出して作った歌だし、「ユースト・トゥ・ビー・バッド」では「神様がこの世をお作りになった」とし「人は限界まで愛さなくてはいけない」と歌うとともに、「自分で蒔いた種は、自分で刈り取るしかない」と過去をふりかえりつつ宗教的になっているのがうかがえた。

 98年4月に愛妻リンダはこの世を去った。

 ポールは悲しみにくれた。30年近く連れ添った妻を亡くしたのだから当然だ。

 だが、新しい恋が訪れるまでに時間はかからなかった。

『ドライヴィング・レイン/ポール・マッカートニー』
『ドライヴィング・レイン/ポール・マッカートニー』

 99年に出会ったヘザー・ミルズとの恋愛だ。2001年に発表したアルバム『ドライヴィング・レイン』はヘザーとの出会いとリンダの死が、光と影のように作用した作品だ。「ロンリー・ロード」という歌では「もう一人ぼっちで歩いていきたくない」と正直な気持ちを吐露していた。2002年に2人は結婚することとなる。

『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード/ポール・マッカートニー』
『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード/ポール・マッカートニー』

 しかし、その幸せは長続きしなかった。ヘザーとの関係が悪化していく中で制作されたアルバムは『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード』(2005年)と題された。直訳すれば「裏庭の混沌(カオス)と創造」、まさにポールが置かれていた状況を表しているようだ。彼はヘザーの裏切りを「ライディング・トゥ・ヴァニティ・フェア」という歌にした。アルバムが発表された翌年、2人は別居する。

『メモリー・オールモスト・フル/ポール・マッカートニー』
『メモリー・オールモスト・フル/ポール・マッカートニー』

 ポールとヘザーは泥沼の訴訟合戦に突入する。そんな折に作られたアルバム『メモリー・オールモスト・フル』(2007年)での注目曲は、死について歌った「ジ・エンド・オブ・ジ・エンド」である。「終わりの終わりにあるのは旅の始まりだ。もっともっと良い場所への旅」とし、死の先にはもっと良い場所が待っているのだから、死を恐れたり、悲しんだり、泣いたりする必要はないと歌う。彼の死生観がうかがえる作品だ。

 2008年、ヘザーとの離婚が正式なものとなった。ロンドンの裁判所はポールに総額2千430万ポンド(約47億円)の財産分与と、2人の間の娘ベアトリスの養育費として毎年3万5千ポンドを支払うよう命じたのである。

『キス・オン・ザ・ボトム/ポール・マッカートニー』
『キス・オン・ザ・ボトム/ポール・マッカートニー』

 2011年にポールは米国人女性ナンシー・シェベルと3度目の結婚をした。2012年には新妻に捧げた佳曲「マイ・ヴァレンタイン」を収録したJAZZスタンダード集『キス・オン・ザ・ボトム』を発表。その幸せと新たな旅路において作られたのが再生宣言『NEW』であった。

 ずいぶんと厳しい道のりを歩んできたのである、ポールも。

(文・桑原 亘之介)


桑原亘之介

kuwabara.konosuke

1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
 本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。