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【スピリチュアル・ビートルズ】来日間近のリンゴのオール・スター・バンド 知っておきたい裏話とは

『Ringo Starr & His All-Starr Band: The Anthology... So Far』(輸入盤) リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンドの1989年の第1期から2000年の第6期までのベスト・ライブ集。ジャケットに載っているメンバーを見ると、そうそうたるアーティストばかり
『Ringo Starr & His All-Starr Band: The Anthology… So Far』(輸入盤)
リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンドの1989年の第1期から2000年の第6期までのベスト・ライブ集。ジャケットに載っているメンバーを見ると、そうそうたるアーティストばかり

 リンゴ・スターと彼が率いるオール・スター・バンドがツアーを始めてから今年で30周年を迎える。リンゴ自身がビートルズ時代、ソロの代表曲を披露するのはもちろん、ロック界の強者どもをまとめ、60~80年代版アメリカン・グラフィティともいえる彼らのヒット曲を惜しみなく演奏する夢のような楽しいステージを繰り広げてきた。

 第一期オール・スター・バンドの旗揚げが1989年7月のこと。ツアーの構想が具体的に発案・着手されたのは、それから1年にも満たない頃のことだったようだ。プロモーターとして白羽の矢を立てられたのが、ニューヨークを基盤とするプロモーターのデビッド・フィショフ。

 84年にオールディーズ・ショー「ハッピー・トゥゲザー・ツアー」を指揮し、86年にはモンキーズの20周年記念ツアーを成功させていたフィショフに、これまた大成功を収めていた「ダーティ・ダンシング・ツアー」でスポンサーを務めたペプシから「新しいアイデア」を求められたという。彼はその際に「リンゴの名前を挙げた」という。

 80年に盟友ジョン・レノンを凶弾で失ったリンゴ。翌年、映画で共演した女優のバーバラ・バックと再婚したものの、同年のアルバム『バラの香りを』が不振、83年の『オールド・ウェイヴ』も英米でリリースされないなど冷たい扱いを受け、そんなショックもあり、リンゴ、バーバラは夫婦ともどもアルコール依存症で苦しんでいた。

 フィショフがリンゴにアプローチしたのが、88年秋のこと。リンゴとバーバラがアリゾナのリハビリ施設での治療から解放された時期であったのが幸いだった。フィショフはリンゴ宛てに手紙を書いた。数週間後に電話があり、彼らは会うことになった。

 フィショフは言う。「その頃、彼(リンゴ)は本当に何もしていなかった。彼とバーバラはリハビリ施設から出たばかりで、何かすることを探しているところだった」(2018年6月7日付エルサレム・ポスト電子版)。最初の会合から数週間後、承諾の返事がリンゴ側から来た。リンゴ自身も何かやらねばならぬと考えを巡らせていたようだった。

 再び顔を合わせ、メンバー選びに入った。フィショフによると、「リンゴは(イーグルスの)ジョー・ウォルシュ、(ザ・バンドの)リヴォン・ヘルムを入れてくれと言った。私はニルス・ロフグレンと(ブルース・スプリングスティーンのEストリート・バンドのサックス・プレイヤーである)クラレンス・クレモンスを推薦した。そして私はビリー・プレストンとも連絡を取り始めた」。リンゴも自分の電話帳を取り出し、何人かと連絡を取り始めた。

 米音楽誌『ローリング・ストーン』も89年8月24日号で「リンゴ・スターが生まれ変わった(Ringo Starr is reborn)」と題した記事でバンド発足騒ぎを伝えた。会見場には「ダイエット・ペプシがお届けします、全ての世代のためのコンサート:リンゴ・スター アンド ヒズ・オール・スター・バンド」との幟(のぼり)が用意され、会見の終わりまで「俺たちはツアーに出るぞ。どうもありがとう。さようなら」という声が聞こえていたという。

 リンゴが表舞台に戻って来るやいなや、早速ビートルズについての質問を投げかける人々が押し寄せた。ある日、「一人の女性が僕に“アイ・アム・ザ・ウォルラス”を歌う予定があるのかどうか知りたいと聞くのだ」とリンゴ。「さすがに言わなきゃいけなかったよ。『ごめんなさい、あれは』僕が歌う歌じゃない」って。

 「それから、ジョージ(・ハリスン)とポール(・マッカートニー)は同行するのですかと質問し続ける人たちもいた。僕は本気で言うのだけど、もし彼らが同行するならば、私たちはリンゴ・アンド・ヒズ・オール・スター・バンドと名乗ることは出来ないと思うよ」。

 彼のオール・スター・バンドはビートルズ騒ぎにも埋もれることはなかった。何せ、今日まで第14期に渡ってメンバーを入れ替えながら続いてきたオール・スター・バンドの楽曲で全米ナンバーワンヒットを記録したものは約15曲。

リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンドのアルバムの一部。
リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンドのアルバムの一部。

 「グルーヴィン」(ヤング・ラスカルズ)、「ピープル・ゴット・ビー・フリー」(ラスカルズ)、「フランケンシュタイン」(エドガー・ウィンター)、「ラウンド・イン・サークルズ」(ビリー・プレストン)、「ロコモーション」(グランド・ファンク)、「ピック・アップ・ザピーセズ」(アベレージ・ホワイト・バンド)、「ノックは夜中に」(メン・アット・ザ・ワーク)、「アフリカ」(TOTO)、「ミッシング・ユー」(ジョン・ウェイト)、「キリエ」(Mr.ミスター)など。

 その他も名曲ぞろいだ。例えば、「ならず者」(イーグルス)、「ボリスのくも野郎」(フェリックス・キャヴァリエ)、「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」(ピーター・フランプトン)、「ホワイト・ルーム」(ジャック・ブルース)、「青い影」(ゲイリー・ブルッカー)、「オール・バイ・マイセルフ」(エリック・カルメン)、「ロジカル・ソング」(スーパートランプ)。

 そんなリンゴ率いるオール・スター・バンドの第14期が日本にやって来る。3年ぶりに。メンバーは、TOTOのスティーブ・ルカサー、サンタナやジャーニーへの参加で知られるグレッグ・ローリー、メン・アット・ザ・ワークのコリン・ヘイら。

 公演日程は次の通り――2019年3月27日(水)福岡サンパレス ホテル&ホール、3月29日(金)広島上野学園ホール、4月1日(月)東京エレクトロンホール宮城、4月2日(火)けんしん郡山文化センター、4月3日(水)昭和女子大学人見記念講堂、4月5日(金)、6日(土)、7日(日)東京ドームシティホール、4月9日(火)Zepp Nagoya、4月10日(水)あましんアルカイックホール、4月11日(木)オリックス劇場。

文・桑原亘之介