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「この映画のスケールの大きさを劇場で見てほしい」 高良健吾『罪と悪』【インタビュー】

 14歳の少年の遺体が橋の下で発見された。同級生の春・晃・朔は、犯人と確信した男の家に押しかけ、一人が男を殺してしまう。家には火が放たれ、事件は幕を閉じたはずだった。時が過ぎ、刑事になった晃(大東駿介)は父の死をきっかけに町に戻り、朔(石田卓也)と再会するが、20年前と同じように、少年の死体が橋の下で見つかる。晃は捜査の過程で春(高良健吾)とも再会するが…。ノワールミステリー『罪と悪』が、2月2日から全国公開される。長編デビューとなる齊藤勇起監督のオリジナル脚本作品で、主人公の春を演じた高良健吾に話を聞いた。

高良健吾 (C)エンタメOVO

 

-齊藤監督とは助監督時代からの知り合いということですが、監督から最初に長編映画を作るという話を聞いた時のことと、脚本を読んだ時の感想を聞かせてください。

 最初に話を聞いたのは、台本ができる1、2年前で、まだ齊藤さんの頭の中にあった時。それがだんだんと台本になっていきました。その期間があったからこそ、やっと台本を手にした時はうれしかったです。読んでみると、描かれていない部分で、考えることがとても多い物語だと思いました。描かれていないからこそ考えなければならなくて、そこが難しいなと。でも、考えたことに説得力がないと、一つ一つのせりふの言い方も変わってくる。それがあまり変わると、描かれていないからこそ分からなくなるところも出てきてしまうので、埋めていく作業というか、自分の中で理解していく作業をしました。

-演じた春というキャラクターをどのように解釈しましたか。

 春にとっては、事件が起きてから何かが始まって何かが終わったのだと思いました。だから事件前の自分を知ってくれている人に対しては強い思いがある。そう考えると演じられると思いました。僕は、オラつきながらこの役を演じたくはなかったです。オラつくことは簡単だし、もっとやれるのですが、そういう選択肢はなかった。春をはじめ、この映画の登場人物は、あるはずのものをなかったことにする人だらけ。だから、春がいつも最後に選ぶのは、消す、またはなかったことにすること。そこが怖いなと。ハルは優しさがゆがんでいる感じがします。

-本作は、ミステリーの要素もあって、ある意味、問題作というか、タブーを扱っているところもありますが、それに関して、脚本を読んだり、演じながらどう感じましたか。

 確かに、サスペンスやミステリーでもあるのだけど、犯人探しの映画ではありません。タブーはたくさんあるけど、それをこの映画の登場人物たちみたいに、なかったことにすることは世の中の常じゃないですか。でも、それは本当に寂しいこと。だから齊藤監督は、人が目を背けたくなるものやタブーを、なかったことにしない人だと思います。今はうやむやにしたり、なかったことにすることだらけだけど、そうではない監督が描かれた脚本は、小さい頃に大人から負わされた傷は残っているのに、それをなかったことにすることで、どれだけ人生が崩れてしまうのかを描いているので、そういう意味では、この作品の意義というか、存在は必要だと思います。共感できたり、理解できるものにみんなが親近感を持つというのは分かるのですが、そうではないものもたくさんあって、そういう自分の肌に合わなかったものが、自分の中に何かをもたらすきっかけをくれることもあると思うので、僕はこの映画が存在してくれることをうれしく思います。

-タイトルの「罪と悪」ついてどう思いますか。

 この映画の登場人物は、みんな見て見ぬふりをしたり、くさいものにはふたをする人たちばかり。僕が思う「罪と悪」というのはそこなんです。それぞれの立場ごとに、正義だったり、悪はもちろんあるのですが、なかったことにする大人たちが多いとあのようになりますよね。それが罪であり、悪にもなっていく。僕は、悪人はあまりいないと思っています。ただ、罪人はめちゃくちゃいて、罪人には普通に生きていたら誰でもなる可能性がある。みんな悪人まではいかないにしてもある意味罪人なんです。だから、僕はこの映画に出てくる人たちはそういう罪を犯した人たちで、それが悪にもなってしまったのだと思います。それぞれが生きてきた環境のせいでゆがんでしまう。だから、春は罪を犯し続けるのですが、ある意味、人からも罪を負わされる。この人の決着のつけ方が、なかったことにする以上の“消す”ということになってしまうのは、やっぱりゆがみだと思う。