「金の島」と言えば、昨年7月に世界文化遺産に登録された佐渡島の金山を思う人も多いはず。
約300万年前に海底が隆起して誕生した佐渡島は、その後の火山活動で大金銀鉱脈ができたそうです。1600年ごろに相川地区で金銀山が発見され、全国から富を求めて多くの人々が佐渡を目指しました。島内では採鉱から精錬、小判製造までが行われ、隆盛を極めました。
一方で、佐渡島にはもう一つ、「金の宝」があります。それは、風にゆらゆらと揺れながら頭を垂れる稲穂の田んぼ風景。特に、広大な平野が金色の絨毯(じゅうたん)に、山あいの棚田が金色の階段に見える季節は、人の手による文化的景観に心が震えます。
島中央部に広がる国中平野では、弥生時代から稲作が行われ、現在も平野のほぼ全域が水田として利用されています。金銀山の採鉱によって人口が急増した江戸時代になると、米の生産量を増やすために海沿いや海岸段丘の斜面などで新田開発が進み、棚田も多く作られました。
「佐渡の米作りを守ることはもちろん、その中で生まれた芸能、すなわち〝鬼太鼓(おんでこ)〟を伝承していくことも私の使命です」と話すのは、国中平野の農家である(株)佐渡相田ライスファーミングの相田忠明さん。
鬼太鼓は、全国でも珍しい佐渡独自の芸能。一説には、稲作をする農家たちが自分らの娯楽に始めたものだとされています。江戸時代に相川の年中行事を描いた絵図「天保年間相川十二ヶ月」には、大太鼓とその前で鬼の面を付け、なぎなたを持って威厳を放つ二匹の鬼の姿が見られます。現在も約120もの集落で、厄よけや五穀豊穣を願って、祭りなどで披露されています。鬼太鼓には大きく分けて五つの型があり、集落ごとに独自性があります。「なにより鬼太鼓の準備をしていく中で、地域の人が集い、人の営みが生まれることが大切」と相田さん。
さらに、鬼が履くわらじ作りや鬼の面を作る鬼師などの技術も先人が伝えてくれたもの。「例えば、鬼太鼓の時に使う獅子の頭も、昔のものは百年たっても壊れません。上顎と下顎をカチカチ鳴らすと良い音が出る。それが近年、島外で作ったら良い音も出ないし、数年で壊れてしまった」。相田さんが設立した「さどやニッポン(株)」では職人養成や島外の人たちが鬼太鼓に触れられる文化体験などを提供しています。
佐渡のものは佐渡で。伝統文化が途絶える島が多い中、次世代へつなぐ挑戦は始まったばかり。光輝く金色の未来を見つめて。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 4からの転載】
KOBAYASHI Nozomi 1982年生まれ。出版社を退社し2011年末から世界放浪の旅を始め、14年作家デビュー。香川県の離島「広島」で住民たちと「島プロジェクト」を立ち上げ、古民家を再生しゲストハウスをつくるなど、島の活性化にも取り組む。19年日本旅客船協会の船旅アンバサダー、22年島の宝観光連盟の島旅アンバサダー、本州四国連絡高速道路会社主催のせとうちアンバサダー。新刊「もっと!週末海外」(ワニブックス)など著書多数。