高知県東部の山あいに位置する馬路(うまじ)村。四方を深い森に囲まれ、太平洋沿いの国道を離れて安田川をさかのぼるように山間部へ進んだ先にある、「わざわざ来ないと来られない場所」だ。「人口800人程度」と語られてきたこの村にも人口減少の波は及んでいる。それでも、林業の衰退を乗り越えながら受け継がれてきた山村の暮らしが今も息づいている。
▼森林鉄道
馬路村といえば、現在はユズの産地として全国的な知名度を誇るが、かつては全国有数の林業地帯として栄えていた。村には森林鉄道が走り、馬路村・北川村・安田町・田野町・奈半利町の5町村をループ状につなぎ、魚梁瀬杉(やなせすぎ)を山奥から搬出していた。魚梁瀬杉は良質な木材として知られ、「大阪城の改修にも使用された」と伝えられる。
「日本遺産中芸ゆずと森林鉄道ガイド会」会長の清岡荘司さんが当時の様子を教えてくれた。
「人口は約3500人。村内には映画館が3館ほどあり、パチンコ店も複数あった。魚梁瀬地区にも映画館や娯楽施設があり、ワイワイガヤガヤした楽しい村でした」
営林署も二つ置かれ、日本の林業界を代表するような人材が所長として赴任するほど重要な拠点だった。その全盛期を直接知る世代ではないものの、うまじ温泉支配人の林義人さんにも当時の活気をうかがわせる記憶が残る。森林組合の事務員として働いていた母親の職場を訪れた際、「山師たちが分厚い給料袋を受け取っていた」光景だ。


▼林業じゃらユズへ
転機となったのは昭和38(1963)年。森林鉄道が廃止され、経済を支える大黒柱を失った村は、大きな転換点を迎える。「林業に代わる新しい産業をつくらなければ」。そんな危機感の中で注目されたのが、地域で細々と栽培されていたユズだった。
当初は10戸の農家からJAがユズを買い取り、搾汁して果汁として販売する事業を開始。しかし当時、ユズ果汁は高知県外ではほとんど知られておらず、百貨店へ営業に行っても見向きもされなかったという。
それでも諦めず、試行錯誤を重ねながら加工品の開発を進めた。その結果、生まれたのがユズを使ったぽん酢しょうゆやユズ飲料「ごっくん馬路村」だ。
ユズの魅力が全国へ広がり始めると、馬路村の名も少しずつ知られるようになっていった。こうしてユズは、林業に代わる村の基幹産業へと成長していった。

▼「ゆずロード」が日本遺産へ
その歩みは2017年、「森林鉄道から日本一のゆずロードへ」と題した文化庁の日本遺産ストーリーに認定された。秋になると村中のユズ畑が黄色く色づき、収穫の最盛期を迎える11月には爽やかな香りが村全体を包み込む。
現在、約190世帯のユズ農家が有機栽培に準じた方法でユズを育てている。2001年から村全体で取り組みを始めた。有機肥料を使用し、除草剤は使わない。その背景には、自分たちが暮らす環境を守るためという考えがある。馬路村農業協同組合の小林侑季さんは、「ここは自分たちが暮らしているところでもあるので。自然に優しいことは、人にも優しい」と説明する。

▼自然と暮らしが近い
村を流れる安田川は透明度の高い清流として知られ、夏になると子どもたちが泳ぎ、大人たちはアユ釣りを楽しむ。子どもたちはゲームもするが、「川の方が好き」という子も少なくないという。
「村に大きな観光施設はないけれど、自然と暮らしが近く、村の人たちが自然を生かしながら生活しているのが魅力。そうした部分を伝えていきたい」と小林さん。林業の村からユズの村へと姿を変えた今も、自然と共にある日常が息づいている。








