ジョン・レノンのパーソナル・アシスタントを79年から80年にかけて務めたフレデリック(フレッド)・シーマンから不可思議な証言が飛び出した。
1980年の米大統領選挙をめぐり、ジョンは「自分がアメリカ人ならば(ロナルド・)レーガンに投票する」と述べたという。2011年の米映画『ビートルズと私』(原題『Beatles stories』)の中でシーマンが明らかにした。
シーマンによれば、ジョンは70年代にレーガンに会ったとき、すぐ打ち解けて冗談を交わすほどになったため、人間的に魅かれるようになったという。そしてジョンは民主党の現職大統領ジミー・カーターのことを「インチキ野郎」(phony)と呼んだという。
ジョンの死についてはいまだに謎が多い。一般的には、マーク・チャップマンが単独でジョンを殺したとされる。80年12月8日のことだ。しかし、動機があいまいである。事件の後、彼がビートルズ、特にジョンの狂信的ファンだったという報道があった。かつての「ヒーロー」を殺すことで、世の中と折り合いがつけられず苦しんでいる自分が「いっぱしの人物」になれると信じて起こした凶行だといわれた。
チャップマンは確かに子供時代にビートルズの米国でのデビューアルバム『ミート・ザ・ビートルズ』を熱心に聞いていたらしい。しかし、その後もビートルズを聞きつづけることはなかった。チャップマンにとってのヒーローは、むしろトッド・ラングレンであった(ジャック・ジョーンズ著「ジョン・レノンを殺した男」リブロポート)。
チャップマンは熱心なキリスト教信奉者となった一時期に、ジョンの「天国なんてないと想像してごらん」と歌った「イマジン」に腹を立て「共産主義者の歌」だと批判したという証言がある。しかし、彼がその後何年もたってからジョンを殺す動機としては弱い。
そこでいまだに根強いのがジョンの反体制的な活動を監視し国外追放をもくろみたこともあるFBI(米連邦捜査局)といった米国内の勢力による暗殺説である。
チャップマンを洗脳(マインド・コントロール)もしくは催眠術によって殺人マシーンとして使ったという説である。その筋では「マンチュリアン・キャンディデイト」と呼ばれる「洗脳された手先」だったというのである(フェントン・ブレスラー著「誰がジョン・レノンを殺したか?」音楽之友社)。
同書では、米保守勢力の隠れた巣窟とも一説ではいわれるYMCA(キリスト教青年会)とのチャップマンの接点や催眠術による暗殺者育成秘密基地があるとされるベイルートやハワイでの滞在歴などが指摘されている。ジョンが5年の沈黙を破って音楽活動を再開した80年は米大統領選挙の年であった。レーガンを候補に立てて選挙に臨んだ共和党方面ではジョンの政治活動に対する警戒心が強かった。
しかもレーガンという保守主義者は、かつてジョセフ・マッカーシーやリチャード・ニクソン率いる下院の非米活動委員会に協力し、「赤狩り」に手を貸した男である。ニクソンといえば、ジョンを尾行、盗聴し、国外追放をもくろんだ中心的人物だ。そういうレーガンの履歴をジョンは知らなかったのだろうか。
ジョンのレーガン支持発言はそういった観点からすると非常に「皮肉」なことだ。しかし、シーマンの発言には、いまだに根強い「暗殺説」追及に水を差す狙いが、彼自身が意図したにせよ意図しなかったにせよ、あるのではないか。シーマンによれば、ジョンはカーターのことを「インチキ野郎」(phony)と呼んだというが、これは偶然にもチャップマンがジョンのことを称して使った単語である。つまり、チャップマンは、ジョンは「インチキ野郎」(phony)なので殺してやろうと思った、と語っていたのである。「インチキ野郎」(phony)という同じ言葉を意図的に使い「ジョン暗殺説」に水をさす皮肉が効いたコメントをシーマンがした、あるいはさせられたのではないかとも考えられる。
シーマンは信用できないという見方もある。ジョンの妻であるオノ・ヨーコは81年にシーマンを解雇している。そして、家族写真やジョンの日記などを盗み、コレクターに売却するなどしたとして、シーマンに対してヨーコは訴訟を起こしたのだ。
フレッド・シーマンという名前が不思議に響くのは私だけだろうか。ジョンが幼いころ家を出て行った実父は「海の男」(シーマン)つまり船乗りで、フレッドというファーストネームだったのである。偶然の一致としては出来すぎている。
ところでヨーコはレーガンについてどう考えているのだろうか。
1985年にヨーコが発表したアルバムが『スターピース』と題されていたことが多くを物語っているのではないか。『スターピース』とは、レーガンが構想した「スターウォーズ計画」に真正面からぶつけたコンセプトである。スターウォーズ計画とは、敵の大陸間弾道弾を迎撃、撃墜することを目的とした戦略防衛構想(SDI)という軍事計画だった。
(文・桑原 亘之介)
桑原亘之介
kuwabara.konosuke
1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。