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【スピリチュアル・ビートルズ】「危険視」された第2のビートル ジョージが打ったニクソンへの電報

1973年にジョージが発表したシングル「ギヴ・ミー・ラヴ」。
1973年にジョージが発表したシングル「ギヴ・ミー・ラヴ」。

 ジョージ・ハリスンが米入管当局に1970年から20年以上にわたって「危険視」されていたことが明らかになった。このほど米国土安全保障省の一部局である米市民権・移民業務局(USCIS)が公開した90ページにおよぶファイル資料を基に2017年8月11日付「カンサス・シティ・スター」電子版が報じた。

 表向きはジョージが69年3月に英国でマリファナ不法所持の疑いで逮捕され、250ポンドの罰金の有罪となったことが「口実」だ。

 しかし、70年11月10日付書類には次のような記述がなされている。「ビートルズのメンバーであるジョージ・ハリスンは大変人気があり、米国での彼の存在と活動は人々の注目を集め、結果として好ましからざることになりかねない」。

 ジョージに対する警戒心の背景には、泥沼化していたベトナム戦争への高まる若者たちの反対運動がある。69年1月に就任したリチャード・ニクソン第37代大統領をはじめとする当時の米政権が最も頭を悩ましていたことの一つだったからだ。

リチャード・ニクソン第37代米大統領。ウォーターゲート事件で1974年8月9日に辞任した。
リチャード・ニクソン第37代米大統領。ウォーターゲート事件で1974年8月9日に辞任した。

 米入管当局にいら立つジョージはニクソンに電報を打った。73年8月16日のことだ。

 「閣下、いったいどうしてあなたはカンボジア市民の頭の上に爆弾を落としているときに、マリファナを吸ったという理由で私を国から追い出そうと気をもむなんて出来るのでしょうか」(Sir how can you bomb Cambonian=ママ citizens and worry about kicking me out of the country for smoking marijuana at the time.)

 そして次のように続く。「あなたの抑圧的な皇帝のような戦争屋のやり方を止め、私たちは世界を平和と愛のもとにおさめるでしょう、ハリクリシュナ」(Your repressive emperaour=ママ war monger ways stop before too piece luv we will run the world Harry Krisher Hare Hara Krishne Hare Hara Hare Hara Krishner.)

ジョージ・ハリスンがニクソン大統領に宛てて打った1973年8月16日付けの電報。
ジョージ・ハリスンがニクソン大統領に宛てて打った1973年8月16日付けの電報。

 このニクソンに対しての嫌みたっぷりなジョージの電報について、「英国でのマリファナ不法所持有罪を理由にビザの延長を拒否されることを危惧したため」に出されたものだと米司法省・移民帰化局(現在のUSCIS)のアン・V.・ヒギンズは記述している。

 同書類の一番上には「これは元ビートルズの一人か?」(Is this one of the former Beatles?)と手書きの一文が書かれていた。

 そう元ビートル、ジョージはニクソン米政権のベトナム戦争をはじめとする対インドシナ政策を批判するとともに米入管当局への異議申し立てを行ったのである。

 米国は70年に南ベトナムの親米政権を支援し共産主義勢力である北ベトナムへの攻撃を効果的にする目的で、隣国カンボジアに侵攻。そして73年には、米国の傀儡政権であるロン・ノルを支援するためにポル・ポトの支配地区に対する大量の空爆を行っていたのだ。

 ニクソンの耳には痛かっただろう。

 米当局に「危険視」されたビートルはジョージだけではない。むしろ米連邦捜査局(FBI)のジョン・レノンに対する尾行、盗聴などによる監視のほうが有名だ。

 FBIにレノン監視資料ファイルが開設されたのが71年。ニューヨークに住み、反戦活動に参加していたジョン。ニクソンたちは、ジョンが左翼的な友人たちとともに、72年の大統領選キャンペーンにぶつける形で、全米コンサート・ツアーを計画していることをつかみ、ジョンを監視下においたうえで国外追放すべく動き出したのだった。

 72年3月、米移民帰化局はジョンのビザ更新を拒否、国外退去命令を出した。

 FBIがジョンに関する調査を「正式」に終了したのが72年12月8日(ジョン・ウィーナー著「ジョン・レノンの真実 FBI監視記録DE-4~HQ-33」角川書店)。同年11月7日のニクソン再選から約一カ月後のことだった。

「ジョン・レノンの真実 FBI監視記録DE-4~HQ-33」(ジョン・ウィーナー著 角川書店刊)
「ジョン・レノンの真実 FBI監視記録DE-4~HQ-33」(ジョン・ウィーナー著 角川書店刊)

 法廷闘争の末、裁判所が移民帰化局による国外退去命令を棄却したのが75年10月7日。その2日後はジョンの35歳の誕生日であったとともに、オノ・ヨーコとの間の息子ショーンが誕生している。翌年7月、移民帰化局はジョンに米国永住権を認めた。

 FBIの監視資料ファイルの公表を求めて闘ってきたジャーナリストのウィーナー氏は前述の著書に次のように書いた。「FBIが公表したジョンの資料ファイルは、ロックが政治を動かす力をもっていた時代の記録とも呼べる。ワシントンの権威に揺さぶりをかける若者たちの文化に対し、ニクソン大統領はFBIや移民帰化局を操作し、『平和を我等に』とアメリカの聴衆に歌いかけるイギリス人の口を封じようと暗躍したのだ」。

 ジョンがニューヨークでマーク・チャップマンの凶弾に倒れたのが80年12月8日のこと。FBIが本当にジョンに関する調査を正式に終了したのは、72年12月8日ではなくて、80年12月8日だったのではないだろうか。

(文・桑原亘之介)

桑原亘之介

kuwabara.konosuke

1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
 本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。