カルチャー

分断されたロシア文学の最良部分 【沼野恭子✕リアルワールド】

 このところ、ロシアの言論統制がますます厳しさを増しており、国外在住の作家にまで容赦ない措置が取られている。2025年7月14日、モスクワの軍事裁判所が、国際的に知られる作家ボリス・アクーニンに対して、当人欠席のまま、拘禁刑14年、その後4年間ウェブページ運営の禁止、40万ルーブルの罰金という判決を下した。国際放送「ラジオ自由」によれば、罪状は、24年2月18日の通信アプリ「テレグラム」に「テロリズムを助長するような内容」の寄稿をしたこと、テレグラムに、自らがスパイと同義の「外国エージェント」である旨を明記しなかったことなどが挙げられたという。

 アクーニンは、三島由紀夫や現代日本作家らの優れた翻訳で知られるジャパノロジスト(日本研究者)でもあり、ロシアの推理小説の分野で圧倒的な人気を誇る作家でもある。『堕天使殺人事件』(沼野恭子訳、岩波書店、2015年)、『トルコ捨駒スパイ事件』(奈倉有里訳、岩波書店、2015年)など、歴史推理小説シリーズの邦訳が4冊出ている。

ボリス・アクーニン(本人提供)

 彼は、すでにロシアがクリミアを併合した14年にはイギリスに居を移していたが、22年にロシアのウクライナへの軍事侵攻が始まると同時に、反戦・反プーチン体制の姿勢を鮮明に打ち出し、事実上亡命状態になった。国外在住の個人に対して欠席裁判が行われ、有罪判決が出たのは初めてではない。『メトロ2033』(小賀明子訳、小学館、2011年)で知られるSF作家ドミトリー・グルホフスキーも、23年8月に欠席裁判で「ロシア軍の信用を貶(おとし)めた」罪で拘禁刑8年の判決を受けている。また、著名な作家・評論家のドミトリー・ブイコフも外国エージェントとされ、25年7月、指名手配者リストに名前が載った。

 今回の件についてアクーニンは、「私は裁判を認めないし、この茶番劇に参加するつもりもない」と断言している。ウクライナ侵攻後、アクーニンが取り組んでいるのは、ウクライナ支援とウェブ出版だ。23年に創設された彼の出版社BABookは、アクーニン自身の著作の他に、ブイコフ、ウラジーミル・ソローキン、ミハイル・シーシキンら立場を同じくする優れた国外在住作家の作品を精力的に出している。当初は、電子書籍だけだったが、しばらくして紙版の本の出版も手がけるようになった。つい最近も、アクーニン『ロシア国家の歴史』(写真)がウェブではなく紙版の単行本として全10巻揃(そろ)って刊行されたばかりだ。

 ソ連時代には「サミズダート(自主出版)」や「タミズダート(国外出版)」といった非公式出版文化が発達したが、現代では、電子書籍やウェブマガジンなどに異論空間が広がっている。これがやがて「21世紀の亡命文学」と呼ばれるようになるのだろうか。現代ロシア文学の最良の部分を「本国」から追放し、切り離して「ふたつのロシア文学」に分断しているロシア当局の政策は愚かしいとしか言いようがない─そのことは、いつか歴史が証明してくれるだろう。

ぬまの・きょうこ 1957年東京都生まれ。東京外国語大学名誉教授、ロシア文学研究者、翻訳家。著書に「ロシア万華鏡」「ロシア文学の食卓」など。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 30からの転載】

【沼野恭子✕リアルワールド】


沼野恭子(ぬまの・きょうこ)/ 1957年東京都生まれ。東京外国語大学名誉教授、ロシア文学研究者、翻訳家。著書に「ロシア万華鏡」「ロシア文学の食卓」など。