-カーンさんは、社会活動家としても知られていますが、女性の地位向上というのも大きなテーマなのでしょうか。
私の母は、ずっと主婦として過ごしてきましたが、割と社会的な意識が高い人でした。母には強い影響を受けました。とはいえ、私たちの家族も家父長制の中で育ってきました。私には男女のきょうだいが両方いましたが、男性ならオーケーとされたことが、女性たちはノーと言われることがありました。例えば、私たち男は夜の9時、10時に出かけても問題なく許されましたが、姉や妹は許されませんでした。私たちは、姉や妹が行けないのであれば、自分たちも出かけないようにしていました。ですから、母の育て方は正しかったと思いますが、インドの社会の中では、深い根っこの部分で家父長制が浸透しています。もう何世紀にもわたって繰り返し押し付けられ、認識させられてしまっています。そういう中で、いつか私たちがそこから解放されることを願いながら、私は意識して活動しています。
-この話にはユーモアがあるとおっしゃいましたが、ジャヤの夫以外はほとんど悪人が出てこないところが心地よかったです。
そうですね。本当の意味での悪い人間はいないのかもしれませんが、この映画のジャヤの夫となるべき男は、意図的によくない行動をしているわけです。前妻に何かよくないことをしたことがせりふで示唆されていています。と同時に、他のキャラクターも最初は決していい人たちではありません。結果的に、彼らがプールやジャヤにいろいろと手助けをする状況が生まれますが、それは意図してそういう設定にしているわけです。たとえよくない人であっても、いい人とつながることによって、その人の最良の部分が引き出されることがあり得るということです。例えば、この映画の警部補は汚職に手を染めていますが、人との関わりによって、彼のいい部分が引き出された結果、いい人になり得たことを示していると思います。
-日本の映画に興味はありますか。
実は、私には映画を見るという習慣がほとんどありません。それは、子どもの頃から母親がとても厳しくて、映画を見せてもらえなかったからです。父親は映画のプロデューサーでしたが、家庭内で映画を見ることが奨励されていなかったので、その結果、本を読むことの方が習慣になっているのだと思います。
-プロデューサーとして、日本の観客に向けてメッセージも含めて一言お願いします。
この映画がインド以外で大きく劇場公開されるのは日本が初めてになるので、日本の観客の皆さんが、どのようにこの映画とつながってくださるかにとても興味があります。この映画は、とてもインド的な、インドに根付いている問題を描いていると思うので、外国の観客がどういうふうに受け取ってくださるのかが、とても気になります。
(取材・文/田中雄二)