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【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】新たなる出版

2022年11月28日=1,331
*がんの転移を知った2019年4月8日から起算


新刊「緩和ケア医 がんを生きる31の奇跡」(双葉社)
新刊「緩和ケア医 がんを生きる31の奇跡」(双葉社)

このたび、新たなる出版の機会をちょうだいできた。身に余る光栄なことであり、何より関わってくださった全ての方々に心よりお礼を申し上げたい。
わたしの4冊目の本「緩和ケア医 がんを生きる31の奇跡」(2022年11月、双葉社)であります。

▽なぜ書くのか

ところで出版。私にはハードルが高い。何を書く、どのように書くはもちろんのこと、「なぜ書くのか」は重要なテーマとなる。がんを発病して1年あまりたった頃に仕上げた「緩和ケア医が、がんになって」(2019年、双葉社)の「なぜ」は至ってシンプルだった。わが人生において初の著書を世に現し、さらに残したい。そしてその現物を、関係者には誠に申し上げづらいのだが、たった2人に手渡せたらもう十分。2人とは専属秘書およびSNS担当であるヨメさんとわが子だ。すなわち2冊、売れたら大満足だった。
それが月日の経過とともに、その目標は数十冊、数百冊、数千冊になり、実際にはとっても難しいことやけれど数万冊売れたらなんて、夢のまた夢を求めてしまう。欲深な人間である。

▽これだった

つまりここ最近わたくし、「なぜ書くのか」は一人でも多くの人にわが思いを届けたいと変わっていた。4度目の出版の今回も発売直前までは同様だった。
先日、とあるオンライン研修会に参加した。私の役割はいち講師だ。何とか話し終えて、その後は質問およびおしゃべりタイムとなった。2人ほどと意見を交わした後だったろうか。ひとりが手を挙げてくれた。画面越しに見ると、手に何やら持っているようだ。うわっ、以前のわが著である。さらに目を凝らすと、ぴらぴらと付箋が貼り巡らされている。画面からは数えきれないほど何枚も。
「ここはと思ったところに貼り付けているんです」
ビックリした、そしてうれしかった。と同時に、「これだった」と改めて気づかされた。
「誰かおひとりにわが思いが届いたらええんや、一人でも多くの人やなくて」
己の原点に立ち返った気がした。家族ふたりだけに残せたら大満足だったわが原点に。

 

▽でも後の祭り

急にやる気が湧いてきた、みなぎってきた。だけれどちょっと待って。もう4冊目の念校は提出されている。念校とは業界用語で最終原稿のことらしい。そうなると原稿はすでに印刷所に回っているはず。いまさら修正できない、書き足せない。

大好きなコケと初作品「緩和ケア医が、がんになって」
大好きなコケと初作品「緩和ケア医が、がんになって」

まあオレの生き方、こんなモンや。「後の祭り」、「孝行したい時に親はなし」など。それじゃぁもしも万が一、次なる機会が出現したならば、その時こそ付箋を貼り巡らせてくれていた“わが友”を思い出そう。ただしここで、知り合いがささやく。
「おまえ、熱しやすく冷めやすかったよなぁ」
う~ん確かに、これもわが長所のひとつである。でも現時点で出版の計画がある訳ではないから、いま考えても仕方ない。

▽YouTube

それでは、いま何をするか。挑戦し始めたYouTubeのライブ配信を準備しよう。その術を周りのみんなに聞きまくりながら。乞うご期待!
ちなみにチャンネル名は、「足し算命・大橋洋平の間」です。ぜひぜひ、ご笑覧くださいな。

(発信中、フェイスブックおよびYouTubeチャンネル「足し算命・大橋洋平の間」)


おおはし・ようへい 1963年、三重県生まれ。三重大学医学部卒。JA愛知厚生連 海南病院(愛知県弥富市)緩和ケア病棟の非常勤医師。稀少がん・ジストとの闘病を語る投稿が、2018年12月に朝日新聞の読者「声」欄に掲載され、全てのがん患者に「しぶとく生きて!」とエールを送った。これをきっかけに2019年8月『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)、2020年9月「がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58」(双葉社)、2021年10月「緩和ケア医 がんと生きる40の言葉」(双葉社)、2022年11月「緩和ケア医 がんを生きる31の奇跡」(双葉社)を出版。その率直な語り口が共感を呼んでいる。


このコーナーではがん闘病中の大橋先生が、日々の生活の中で思ったことを、気ままにつづっていきます。随時更新。