〝バブル本〟出版相次ぐ  あの時代の実像と喪失感

1980年代後半、「バブル」が日本列島に生まれた。地価と株価の高騰が熱狂と陶酔をもたらした。この時代を描くノンフィクションが最近、次々に出版されている。宴の後始末は多くの人々を奈落に突き落とし、日本経済はその喪失感をいまも引きずっている。

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立ちすくむ日銀企業の裏面史

バブルを生んだ直接のきっかけは、1985年9月のプラザ合意だったことに異論はないだろう。政府・日銀は円高不況の克服と円ドル相場の安定という二つの目的のため、87年2月から89年5月まで、公定歩合を2・5%に据え置き金融緩和を続けた。
政府、日銀はなぜバブルを生み、それを放置したのか。2015年秋に出版された「検証バブル失政 エリートたちはなぜ誤ったのか」(軽部謙介著、岩波書店)はこの疑問に正面から挑んだ。金融緩和を迫る米連邦準備制度理事会(FRB)議長のボルカーらに対し、日銀総裁の澄田智らは弱腰だった。
後任の三重野康が果断だったかと言えば、そうでもないだろう。三重野が副総裁、総裁を務めた時期は、資産価格の膨張と崩壊の衝撃を目の当たりにしながら、日銀が立ちすくみ迷走した数年間だった。
最も優れた分析力を持っていたはずの白川方明らのグループも、異常を感じ取りながらも、組織を動かすエネルギーは発揮できなかった。非公開の公文書、オーラルヒストリーなどを大量に集め、日銀、大蔵省、自民党が行動できなかった理由を、解明しようとした「検証バブル失政」は、21世紀の調査報道の代表作と言っていいだろう。

 

企業の裏面史

日本経済新聞証券部のエース記者が30年にわたる封印を解いたのが「バブル 日本迷走の原点」(永野健二著、新潮社)だ。兜町を「シマ」と呼び、多くの相場師がうごめいた戦後の証券界は、80年代に大きく変化した。官民の限られたプレーヤーによる調整型の経済体制に、市場主義の波が押し寄せた。新旧のシステムが混在したことが、企業、証券会社、銀行の混乱を増幅し、多くの経済事件を引き起こした。
三菱重工業の転換社債が総会屋にばらまかれた問題が、山一証券の経営陣の内紛から引き起こされた。米国の乗っ取り屋に買い占められた小糸製作所株の引き取りを拒否したトヨタ自動車会長の豊田英二の決断の裏には、仕手筋から豊田自動織機株を買い取った苦い経験があったという。
著者が30年余りにわたる取材の中で蓄積した秘話を、バブルの起承転結という視点から描いた。決して表に出ない現代企業史の謎解きでもある。

 

ワラント債、営業特金…

1990年から2年間、金融界を揺るがしたイトマン事件。ベストセラーとなった「住友銀行秘史」(国重惇史著、講談社)はイトマンと一体でバブルに踊った銀行を内部から描いた。著者が「墓場まで持っていくつもりだった」という当時のメモを公開した。
頭取だった磯田一郎の実像と、危機の淵にあった銀行を救うために行動した著者の動きが軸になる。大蔵省、メディアに情報をリークしながら、磯田派とひそかに渡り合う姿はサスペンス小説のようでもある。「ディープスロート(秘密の情報源)」が自らを語る時に特有の迫力と面白さに満ちている。
バブルの当事者の証言としては、「野村証券第2事業法人部」(横尾宣政著、講談社)も貴重な記録だ。
最大手証券の法人営業の最前線に身を置き「手数料の亡者」と呼ばれた著者は、大企業の財務担当幹部との駆け引きを、昨日のことのように描いてみせた。ワラント債を使った「益出し」、営業特金の獲得作戦、ライバルの証券会社と企業との利回り保証の密約を巡る叙述は生々しい。バブル期を代表する経済事件の背景を深く知ることができる。

 

同時代史を読む

バブルから30年がたち、鬼籍に入った関係者も少なくない。今回取り上げた4冊の著者は30~
40代でバブルを経験している。そこで生じた疑問や理不尽さを背負いながら、記者として、あるいはビジネスマンとして歩んできたのだろう。
出版に関わった編集者は、ヒットの理由をこう語る。「活字を読む世代は高齢化している。ハードカバーの経済書を読むのは50~60代。こうした読者にとって、バブルは同時代史にほかならない」
バブルとその後の時代は、「24時間働けますか」と自らに問い続けてきた世代の「自分史」でもある。出版の事情はさまざまだが、経済事象を描く硬質な表現の裏に、自分の足跡への熟成した思いを感じさせる著作がそろった。(敬称略)

(21世紀金融フォーラム)