小さなレバノンと豊かな文化

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レバノン中部地中海沿岸ジュニーエにて(筆者撮影)

 中東と聞いて思い浮かべるのは、砂漠、イスラム、ラクダ、テロ、石油、内戦という言葉だろうか。女性は黒いベールをかぶり外出が許されず、男性はコーランを片手に水たばこを吸う、閉鎖的な地域というイメージを持つ人も少なくないだろう。

 実はそんな中東にも、青い海や緑あふれる自然、おいしいワインとシーフードを堪能できる美しい国があるのだ。レバノン共和国。人口600万人で日本の面積の約36分の1程度の小さな国は、地中海に面し、中東とヨーロッパ、アフリカに囲まれ、国境をシリア、イスラエルに接している。その地理的理由から、人種と文化と宗教がモザイク柄に例えられるほどに複雑に入り交っており、知る人ぞ知る中東のリゾート地となっている。

 中東域内からはもとより、欧州各国の観光客からの人気が高く、年間約200万人の観光客のうち、最大勢力は欧州からで約70万人に達する。人々を引きつける背景には、ローマ時代から続く豊かな歴史と名産のワインがある。

 レバノン最古のワイナリーは、いまだ内戦が続く隣国シリアの首都ダマスカスから車でわずか1時間程度の距離。この地域は、アルメニア系の人々が銀の伝統細工を売り、生計を立てるのどかな場所だ。

 レバノンの穏やかな自然の中で育ったブドウから造られたワインを片手にビーチサイドで夕日を楽しむもよし、南部ティルス地区のローマ時代の遺跡を眺めながら古代に思いをはせるもよし、絶滅の危険性が高い危急種に指定されるレバノン杉を臨んで自然に触れるもよし、豊かな観光資源に心が躍る。

 首都ベイルートには、1990年まで15年間にもわたる内戦や、2000年代に反ヒズボラ(民兵組織)を掲げて侵攻してきた隣国イスラエルやシリアによって壊された建物や弾痕がいまだに残るが、それらがまるで広島の原爆ドームのように人々の心に平和を訴え掛けている。

 国内政治状況に目を移せば、18年の総選挙から9カ月以上を要し今年1月末にようやく組閣がなされるなど、政治の混乱と、財政の悪化が進んでいるが、レバノン人たちは世界中でたくましく生きている。

 今や自国に抱える人口をはるかに超える1千万人以上が、かつての戦火から逃れるためアメリカ大陸に移住し、米国のほかブラジル、アルゼンチンなどに住んでいる。こうした移民たちの中には、俳優や歌手など著名になった人もいるが、各地で高い教育を受け中東地域に戻り、ビジネスマンもしくは政治家として活躍するUターン人材も輩出している。彼らが帰国の際に持ち帰るビジネスの種が未来のレバノンに新たな実りをもたらしていくのだろうか。

(国際協力銀行 ドバイ駐在員事務所 リサーチャー 佐藤 佳奈)

 

(KyodoWeekly2月18日号より転載)