「特集」イラン核重大局面に 制裁の行方の鍵は 二つの大統領選 日本経済に影響も

 

浅田 正彦
同志社大学法学部教授

はじめに

 イランの核問題は、核不拡散の観点から北朝鮮の核問題と並ぶ大きな問題であるが、日本においてはさほど認識されてはおらず、その詳細もあまり知られていない。しかし、イランの核問題は今後1年あまりで重大な局面に向かうことになる。そこには、今年7月に行われたイランの大統領選挙と、今年11月に行われる米国の大統領選挙の結果が大きくかかわることになる。小論では、やや複雑な内容と経緯を含むイランの核問題について、分かりやすく概説するとともに、その今後を占うことにしたい。

核疑惑発覚と国連制裁

 イランの核開発疑惑が国際社会で注目されるようになったのは、2002年8月に同国の反体制派が、イランは国際原子力機関(IAEA)と結んだ保障措置(査察)協定に違反して、IAEAに申告することなく秘密裏に核施設を建設していると告発してからである。これに対してIAEAは、イランに申告義務違反を早期に是正し、未申告施設も査察対象となる追加議定書を迅速に締結するよう求めた。当初、イランは好意的に対応した。03年12月に追加議定書に署名し、批准までの間、自発的に議定書を履行することを約束した。また、ウラン濃縮関連活動と再処理活動を自発的に停止することをも約束したのである。

 しかし、05年に当選した保守強硬派のアハマディネジャド大統領が、就任直後にウラン濃縮関連活動を再開した。これを受けて国連は06年以降、累次の安全保障理事会(安保理)決議によってイランに経済制裁を課すことになる。イランに対する原子力資機材の輸出入禁止、通常兵器の輸出入禁止(対イラン輸出は大型兵器のみ禁止)、イランの指定個人の入国・通過の禁止、イランの指定個人・団体の資産凍結などの措置を国連加盟国に義務付けたのである。

欧米独自制裁と核合意

 イランを最終的に動かしたのは、国連の枠外における欧米の独自制裁であった。米国の10年包括イラン制裁法や12年国防授権法(国防権限法と訳されることもある)に基づく制裁は二次制裁を含んでおり、強力な制裁効果を発揮した。二次制裁とは、米国の制裁(一次制裁)対象となっているイランの企業などと取引を行う第三国(日本を含む)の企業などに対して、米国の金融システムなどへのアクセスを拒否するものである。米国の金融システムへのアクセスが拒否されると、ドル決済の取引ができなくなり、当該企業には大きな打撃となる。それゆえ当該企業は、米国の一次制裁の対象となっている企業との取引を止めざるを得ず、こうして一次制裁の対象となっているイラン企業と取引を行っている世界中の企業がその取引を止めるということになれば、二次制裁は安保理の義務的な経済制裁に近い効果を発揮することになるのである。しかもその対象は、安保理ではなく米国が決めるのである。

 同じ時期に行われた欧州連合(EU)による独自制裁も効果を発揮した。10年の理事会決定は、イランの石油・天然ガスの主要部門に対する主要機器・技術の移転を禁止し、12年の理事会規則は、イランの原油、石油製品および石油化学製品のEUへの輸入を禁止した。これらの措置は、米国の12年国防授権法に基づくイラン石油の輸入制限措置とも相まって、イランの国内総生産(GDP)成長率を11年のプラス3%から12年のマイナス6・6%へと急落させることとなった。

 こうした中、13年に行われたイラン大統領選で当選した穏健派のロウハニ大統領は、直ちにいわゆるE3/EU+3(英仏独米ロ中およびEU)との交渉を開始し、15年7月14日にイラン核合意と通称される「包括的共同作業計画」(Joint Comprehensive Plan of Action=JCPOA)に合意したのである。

 イラン核合意は159ページにも及ぶ大部で複雑な内容を含む合意文書である。条約のような法的拘束力を有する文書とはされなかったが(米国とイランが議会手続きを回避すべく条約にしなかったといわれる)、その内容は詳細を極め、イラン核問題の最終的な解決を目指すものであった。その主要なポイントは以下の通りである。
 (1)イランの核関連活動に対する制限 ウラン濃縮度の上限を3・67%とする。濃縮ウランの備蓄上限を300キロとする。再処理は行わない。
 (2)検証措置 追加議定書の暫定的適用(発効まで継続)
 (3)紛争解決 合同委員会による紛争の解決
 (4)制裁解除 米国、EUおよび国連による制裁の原則解除

スナップバック手続き

 以上のような内容を含むイラン核合意は、合意の6日後に採択された安保理決議2231によって「承認(endorse)」され、全ての国連加盟国はその実施を支援するために適切な行動を取るよう要請された。加えて同決議には、制裁解除との関係で「スナップバック」と呼ばれる制裁復活に関する重要な手続きが規定された(核合意自体にも同様の手続きが規定されている)。それによれば、イラン核合意「参加国」(イランと英仏独米ロ中)は、他の参加国が核合意に違反していると考える場合には紛争解決手続きに訴えることができ、しかも、それによって紛争が解決できず、かつそれが核合意に対する「重大な不履行」であると考える場合には、安保理に「通報」できるとされる。

 この「通報」後の安保理における手続きは極めて特異なものである。すなわち、通報を受けた後、安保理は国連制裁の「解除を継続する」旨の決議案を投票に付し、それが採択されない場合には、解除されていた制裁が復活するとされる。制裁の「解除を継続する」との決議案を提出し、それが採択されないと制裁が復活するという制度は分かりにくいが、安保理常任理事国による拒否権の作用と考えると、分かりやすい。

 通常の発想で、解除されていた制裁を復活させるとの内容の決議案を提出しても、イランと良好な関係にある常任理事国ロシアが安保理で拒否権を行使すれば、制裁は復活できない。ところが、上記のような制裁解除を継続するという決議案であれば、米国が拒否権を使い否決すれば、制裁の「解除を継続しない」という決定として、制裁が復活することになる。つまり、容易に制裁を復活させることができるよう巧妙に考案された仕組みなのである。

トランプ政権が合意脱退

 2017年に政権に就いた米国のトランプ大統領は、選挙戦の時から、前任のオバマ大統領の重要な成果である核合意を「史上最悪のディール」としてこき下ろしていたが、18年5月に正式に合意からの脱退を表明した。これに対してイランは、1年後の19年5月に低濃縮ウランの貯蔵量の上限を撤廃し、同年7月にはウラン濃縮度の上限も撤廃するなどして核合意の履行を縮小していき、20年1月には核合意のいずれの制限も順守しないと宣言した(脱退は宣言しなかった)。

 米国は、イラン核合意と安保理決議2231においても制裁対象にとどまっていた通常兵器の対イラン禁輸措置が20年10月に解除されることになっていたため、それを延長すべく20年8月に安保理決議案を提出したが、必要な多数を得ることができず否決された。そこで米国は、核合意に含まれる「スナップバック」制度を利用すべく、安保理に対してイランの「重大な不履行」(上記のイランによる上限撤廃などを列挙)を通報するとともに、スナップバックにより国連制裁が再度課されることになると主張した。

 しかし、米国はすでに核合意から脱退しており、スナップバックを援用できる核合意参加国ではなかった。この点は中ロ両国のみならず、英仏独の西側諸国によっても指摘された。米国は戦略を誤ったのである。米国は、まずスナップバックの権利を行使して国連制裁を復活させ、しかる後に脱退していれば、所期の目的を達成できたはずである。もっとも、米国の脱退の時点で、イランの側に「重大な不履行」と言い得るものがあったかは疑問である。

二つの大統領選の意味

 イラン核合意は米国の脱退後も、形式上はイランと、米国を除く5カ国との間の有効な合意として存続している。しかし米国の不在はその意味を大きく毀損(きそん)し続けているのも事実である。21年1月以降、バイデン米大統領の下で修復の可能性が探られてきたが、21年8月に就任したイランの保守派ライシ大統領の下で交渉は進展しなかった。

 そのような中、今年5月にライシ大統領が航空機事故で死亡し、その後継大統領を決める選挙の結果、事前の予想に反して、改革派のペゼシュキアン氏が当選した。同氏は、経済制裁の解除を優先課題とし、欧米との関係改善も訴えており、イラン核合意復活の可能性が期待される。

 他方、もう一方の主要なアクターである米国の大統領選挙も、今年11月に迫っている。こちらも7月のトランプ前大統領暗殺未遂事件、バイデン大統領の選挙戦からの撤退など、大きなうねりの中にある。脱退の当事者であるトランプ氏が大統領に返り咲けば、イラン核合意の復活はあり得ない。しかし、暗殺未遂直後の状況とは異なり、トランプ氏が失速しているとの評価もあり、選挙戦は混とんとしている。

 イラン核問題そのものの解決との関係で重要な鍵となるのは、なお有効である国連制裁復活のためのスナップバック手続きであろう。問題は、この手続きには期限があるということである。イラン核合意と安保理決議2231によれば、25年10月18日をもって、スナップバックを含む決議2231に定める規定と措置は終了し、安保理はイラン核問題に関与しなくなる。仮に米国でトランプ氏以外が大統領に当選するにしても、残された時間は少ない。イランが60%の濃縮ウランの製造を続ける中で、上記の期日までにスナップバック手続きを延長するか、何らかの新たな合意に至らない限り、国連制裁の復活の可能性は事実上消滅し、イラン核問題の解決は極めて困難な方向へと向かうことになろう。

 イラン核問題の行方は日本にも影響を与え得る。米国の二次制裁は日本企業をも対象とするし、国連の義務的制裁はもちろん日本も履行しなければならない。イラン核問題は核不拡散上の問題であるだけでなく、日本経済にも直結し得る問題なのである。

同志社大学法学部教授 浅田 正彦(あさだ・まさひこ) 1958年山口県生まれ。同志社大学法学部教授、京都大学名誉教授。2009~10年国連安全保障理事会北朝鮮制裁パネル委員。17~19年核軍縮賢人会議委員。18~20年国際法学会代表理事。23年~国連国際法委員会委員。今年5月、「Iran, Nuclear Weapons and International Law」をドイツの出版社Nomosから出版した。

(Kyodo Weekly 2024年9月16日号より転載)