佐賀新聞社 著
- 396ページ
- 佐賀新聞プランニング(税別1800円)
戦後日本の歩みと重なる
吉田茂首相の懐刀で、衆院議長や自民党幹事長などを務めた保利茂氏の急逝に伴い、地盤を受け継いだ長男、元衆院議員保利耕輔氏(83)の回顧録である。
自身も文相や自民党政調会長などを歴任し、佐賀県唐津市を主地盤に、選挙で圧倒的強さを見せた「保利王国」は親子二代、70年間続いた。「マスコミ嫌い、記者泣かせ」の側面を持ち、マスコミにはあまり多くを語らなかった政治家であったがゆえに、昭和、平成と激動の時代を歩み、政界の舞台裏の一端を話してもらえれば、歴史の一つの証言になると佐賀新聞での回顧録連載を依頼した。聞き書きではなく自らペンを執り、衆院議員時代に加え、生い立ち、サラリーマン時代も振り返り、タイトルも「わが人生を語る」となった。
耕輔氏は日本精工のフランス子会社社長から意図していなかった政治家への転身だった。それでも幼少のころから父親の背中を見て育ち、学生、会社員時代の経験が政治家としてのものの考え方、行動に反映されていたと説く。
民間企業での国際経験は、ガット・ウルグアイ・ラウンドでの農業交渉、自社さきがけの3党連立政権時代の政策調整など難交渉時に生かされた。
「最も苦しく、つらい事」
新聞での連載は当初100回程度を想定したが、2016年4月から17年3月まで計161回に及んだ。政治家への道や、日本精工時代、国会事始め、郵政選挙と離党など16章にわたる。
ただ、紙幅があり、十分に書ききれなかったことも少なくなかったという。それでも、父茂氏が自民党幹事長の時に中国の周恩来首相に宛てた「保利書簡」のエピソードや訪朝団の覚書を巡る攻防が盛り込まれた。
国家公安委員長時代には神奈川や新潟などの県警不祥事が相次いで発覚、「最も苦しく、つらい事だった」と吐露し、深夜に警察庁長官がホテルに訪れての報告や、小渕恵三首相に辞意を伝えたものの「内閣がつぶれる」と慰留されてとどまったことも明かした。
今、憲法改正論議が本格化しているが、民主党政権時代、憲法改正推進本部長として自民党草案をまとめた経緯や改憲への思いもつづっている。
書籍化に当たり、巻末には保利氏と親交があった安倍晋三首相や麻生太郎副総理兼財務相、大島理森衆院議長ら政治家5人とキッコーマン取締役名誉会長の茂木友三郎氏、地元後援者に「わたしと保利さん」と題して一文を寄せてもらった。
そこでも政治家保利耕輔の生真面目さが語られ、厚い信頼と責任感の強さがうかがえる。
一国会議員の回顧録ではあるが、戦後日本の歩みと重なり、時代の転換点がつづられている。これからの日本のありようを考える一助になればと思う。=肩書きはいずれも当時
(佐賀新聞社編集局 報道部長 辻村 圭介)