「国際農研」ってご存じですか。正式名称は、「国立研究開発法人国際農林水産業研究センター」(茨城県つくば市)。この組織の目標は「世界から貧困をなくすこと。そのために世界中に食料を行き渡らせること」などを掲げる。本稿では、開発途上地域など調査をしている研究員の活動を紹介する。1回目は「バッタを倒しにアフリカへ」の著書で知られる、バッタ博士の前野ウルド浩太郎さんに登場していただいた。(編集部)

世界記録持つバッタ
古来、サバクトビバッタの大群は農作物を食い荒らし、アフリカの人々を苦しめてきた。世界的な大害虫だが、現地調査はほとんど行われず、このバッタの生態は謎に包まれたまま。安全な退治方法は未完成だった。 事態を重く見た国際農研は、人々の平和を守るため、バッタ研究プロジェクトを立ち上げ、西アフリカにバッタ博士・前野研究員を派遣した。バッタ博士にゆだねられた任務、それはバッタの生態の解明と新しい退治方法の開発だった。バッタが生息するサハラ砂漠に潜入し、バッタの弱点を探る調査が2016年から始まった。
サバクトビバッタは、バッタの仲間でその名の通り、砂漠を飛びまわる。1日に100キロ以上も飛び、過去には海を渡って約4千キロも飛んだことも。 昆虫の中で、一度の飛翔で最も長距離を飛んだ世界記録を持っている。成虫の体長は約6~8センチ。群れ合う習性があり、巨大な群れは東京都を覆い尽くすほどだ。
腹ペコバッタの大群がいきなり農作物に襲いかかって緑という緑を食い尽くし、アフリカの人々を困らすため、現地では天災として恐れられている。
3回の悲劇
西アフリカのモーリタニア・国立バッタ防除センターの仲間たちと協力し、現地でサバクトビバッタの調査を行っている。モーリタニアの国土は日本の約3倍。バッタがどこにどのくらいいるのかを突き止めるため、いつも調査隊が全国各地をパトロール中だ。無線通信を使えば、砂漠の真ん中からでも数百キロ離れた首都の本部に連絡できる。バッタの群れが発見され次第、殺虫剤を積んだ防除隊が本部から出動していく。筆者も調査地を決めるときはこの情報を利用している。
ある日、バッタの群れが目撃され、すぐに現場に向かうと、手違いですでに退治されていた。殺虫剤を浴びたバッタは地面で静かに横たわっている。生きたバッタじゃないと調査にならない。ひと仕事終えて満足げな職員の隣で、悲しむ自分。そんな悲劇が3回も続いた。
プレゼント作戦
バッタを退治したい防除センターと、生きたバッタを調査したい私。なんということだ! 仲間のはずの防除センターが、バッタ研究の敵ではないか!
殺虫剤をかければバッタを退治できるが、環境汚染を引き起こすリスクを伴う。しかも、広大な砂漠でバッタをむやみやたらに探し回るのは大変すぎる。もっと効率よくバッタを発見して退治するためには、バッタのことをもっと詳しく知る必要がある。
わざわざアフリカまで調査しに来たのに生バッタに会えぬとはなにごとだ。なんとかせねば。
そこで考えついたのが「お近づきのしるし作戦」。調査隊も防除隊も家に帰ることがなかなかできず、長い人だと9カ月間もキャンプ生活が続く。不便な砂漠暮らしをしている男たちが喜ぶプレゼントをあげて仲良くなり、バッタを生かしておいてもらおうという作戦だ。
モーリタニアで最も喜ばれるプレゼントはヤギ肉。バッタが頻繁に発生するエリアを担当している調査隊を訪れ、生きているヤギ1匹(約1万円)をプレゼント。すると、興奮しながら男たちが駆け寄ってきて握手を求めてきた。コック担当の男が早速ヤギを引き連れて台所に出かけていった。
2時間後、大皿に盛られたヤギ煮込みが運ばれてきた。地べたに座り、みんなで輪になり素手で食べる。満腹になった男たちは歯に肉がはさまったまま全力の笑顔でお礼を浴びせてくる。こちらもとびきりの笑顔で「どういたしまして」を返す。みんなが幸せの余韻に浸っている中、作戦決行。
通訳から、「コータローは生きたバッタが必要だから、もし今後バッタを発見しても退治せずにすぐに教えてくれ。そしたら、またヤギを持ってやってくるぞ」と私の狙いを伝えてもらった。「まったく問題ない」と男たち。
それ以降、手違いでバッタが全滅させられることはなくなり、重要な観察ができるようになった。私のおこづかいが減ってしまうのはツライけど、バッタとみんなの笑顔に会えるならよしとしよう。
そんなわけで、バッタ博士は今年もヤギを片手にサハラ砂漠を駆け巡る。
[筆者略歴]
前野ウルド浩太郎(まえのうるどこうたろう)
昆虫学者、1980年秋田県生まれ、国際農研研究員、神戸大大学院博士課程修了
(KyodoWeekly4月29日・5月6日号から転載)









