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【スピリチュアル・ビートルズ】ビートル2世たちの人生(3) ジェイムズ・マッカートニー

ジェイムズ・マッカートニー
ジェイムズ・マッカートニー

 ポール・マッカートニーとリンダの息子ジェイムズは、二十歳前から父のレコーディングに参加するなど順調なキャリアの滑り出しをしたように見えた。だが、それと前後して訪れた最愛の母リンダの死がジェイムズを打ちのめしてしまった。

 しばらくジェイムズはアルコールなどに逃げることになる。おのずと父ポールら残った家族との関係が悪化。再び、ポールと和解するようになるのは、皮肉なことにその父親の病気がきっかけだった。父を大事にしなければならないという思い、そしてビートルという重荷を背負ってきた父への温かいまなざしが、ジェイムズを音楽シーンに本格復活させる。

 ジェイムズは17歳の時に初めて曲を書いたという。そして19歳で父ポールのアルバムに参加する。リンダが参加した最後のアルバム『フレイミング・パイ』(97)収録の「ヘブン・オン・ア・サンデイ」でエレクトリック・ギターを弾き、ソロ演奏も披露した。

 ポールは目を細めていたに違いない。実際こう語っていた。「ジェイムズは本当にギターがうまくなっている・・・・・・ジェイムズが初めてギターを手にしたのは9歳か10歳のころだったなあ。ギターが大好きでね。このアルバムに貢献するには十分な腕前だよ」(ポールのファンクラブ冊子「クラブ・サンドウイッチ」97年夏号)。

『クラブ・サンドウィッチ』の『フレイミング・パイ』特集号(97年夏号)。
『クラブ・サンドウィッチ』の『フレイミング・パイ』特集号(97年夏号)。

 だが母リンダが98年4月に他界すると、ジェイムズにとっては「とても暗い時代」に入ってしまった(2013年6月15日付英「デイリー・メイル」電子版)。薬物やアルコールに慰めを求めるようになってしまったジェイムズ。家族からは遠ざかってしまった。

リンダの追悼号となったポールのファンクラブ冊子『クラブ・サンドウィッチ』(98年夏秋号)。
リンダの追悼号となったポールのファンクラブ冊子『クラブ・サンドウィッチ』(98年夏秋号)。

 ポールの2001年のアルバム『ドライビング・レイン』では2曲を共作。その2曲「スピニング・オン・アン・アクシス」ではパーカッション、「バック・イン・ザ・サンシャイン・アゲイン」でギターを演奏するというような「交流」はあった。

 だが本当の意味での父子の和解に至るには、2007年にポールが血管形成手術を受けるのを待たねばならなかった。「父がどんなに自分(ジェイムズ)にとって大切な存在なのかということを思い知り、父がストレスで苦しんでいたのだから、自分がもっと支えにならなければいけないと思うようになった」とジェイムズは振り返った。

 ビートルの遺伝子(DNA)を継ぐ者としてジェイムズは語った。「ぼくにとってはビートルズの名前に恥じないようにするのは大変なことだ。父でさえそうなのだから。ぼくは偽名を使って音楽活動を始めたんだ。というのも静かに始めたかったからだ」。

 「年をとるにつれ、ぼくはビートルズのレガシーを感じ、音楽をすることにプレッシャーを感じるようになった。だから(途中)違うことをやってみた。アートや家具作りといったことだ。ぼくはミュージシャンになったビートルの息子といった月並みなものになりたくなかったのだ」。それを乗り越えてきたジェイムズが自身の音楽活動を本格化させるのは2010年、彼が30歳を過ぎてからだった。遅咲きの2世であった。

 同年、ソロデビューEP「アベイラブル・ライト」をリリース。翌年、第2弾EP「クロース・トゥ・ハンド」を発表した(このEP2作は、後に2枚組CD『コンプリートEPコレクション』に収められた)。EP2枚ともにプロデュースに当たったのは、ポールとデビッド・カーンだった。カーンは敏腕プロデューサーとして知られ、トニー・ベネット、バングルス、ザ・ストロークスらを手掛けたことでも知られる。

『コンプリートEPコレクション/ジェイムズ・マッカートニー』
『コンプリートEPコレクション/ジェイムズ・マッカートニー』

 2013年になると初のフル・アルバム『ミー』を発表。カーンが引き続きプロデュースに当たり、ポールはドラムス、ギター、ボーカルでサポートした。

『ミー/ジェイムズ・マッカートニー』
『ミー/ジェイムズ・マッカートニー』

 第2弾フル・アルバム『ブラックベリー・トレイン』が発表されたのは2016年。プロデューサーはスティーブ・アルビニ。彼は、80年以降のオルタナティブ・ロック・アンダーグラウンド・ロックシーンを代表するエンジニアで、ニルヴァーナなど多数のアーティストの作品にエンジニアとして参加してきた。ちなみにジェイムズは大のニルヴァーナ・ファンだ。

『ザ・ブラックベリー・トレイン/ジェイムズ・マッカートニー』(ソニー・ミュージック SICX47)
『ザ・ブラックベリー・トレイン/ジェイムズ・マッカートニー』(ソニー・ミュージック SICX47)

 ビートルズ・ファンにとってうれしいのは、ジョージ・ハリスンの一人息子ダニーが、アルバムのオープニングを飾る「トゥー・ハード」にギターとボーカルで参加していることだ。

 遅咲きには理由があったジェイムズだが、彼はいまや家族同様にビーガン(完全菜食主義者)で、神のことを考えるようになって瞑想にも取り組んでいるという。

 ちなみにジェイムズは、無人島に持っていきたいレコードは?と問われて、ニルヴァーナの『ネバーマインド』とビートルズの2枚のアルバム『レット・イット・ビー』と『アビー・ロード』を挙げた。自分が書けば良かったと思う楽曲は?と問われての答えは、父ポールの代表曲の一つである『レット・イット・ビー』だった。

(文・桑原亘之介)