「何も聞いたことがないのにも関わらず、ヨーコさんのことをめちゃくちゃ毛嫌いする人が多い。ジョンを好きな人にとって、ヨーコを聞くことは“修行”のようなもの」と話すのは、ソニーミュージックレーベルズの白木哲也(しろき・てつや)さん。
ヨーコ・オノの作品の中で好きな一曲を選んでといわれて、白木さんが『無限の大宇宙』(1973)収録の「今宵、彼に安らぎを」を挙げた後のコメントだ。
ジョンとはもちろん、ヨーコの夫のジョン・レノンのこと。
翻訳家の奥田祐士(おくだ・ゆうじ)さんのチョイスは、ジョンとヨーコ名義のアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』(1971)収録の「ウィー・アー・オール・ウォーター」。「普通にいいロックンローラーとしてのヨーコさん」(奥田さん)が聞ける楽曲で、要するに「人間みんな水のように同じだ」と繰り返し歌われている。
最後に赤川良二(あかがわ・りょうじ)さんは「リメンバー・ラヴ(ヨーコの心)」という1969年の作品を選んだ。赤川さんは、昨年封切られた邦画『月の満ち欠け』でこの曲が取り上げられており、有村架純さんが劇中、ラジオから流れてくるヨーコの歌声に合わせて、今まで聞いたことがないのに、あたかも「輪廻(りんね)転生」があるかのごとく、昔から知っているかのように歌っているという「マニアックな場面」を紹介した。
番外編として登壇したのは中村まきさん。「女性の立場から見たヨーコ・オノ」ということで、中村さんが選んだ作品は「Bad Dancer」。新曲が入っているアルバムとしては「最新作」である『Take me to the land of hell』(2013)からで、「(当時)80歳のつくる音楽としては、きわめてコンテンポラリーなものだった」(中村さん)。
およそ2時間の会の最後にヨーコの作品で一番好きなものを挙げて終了したのは、ヨーコの誕生日である2023年2月18日に東京・下北沢の「3313アナログ天国」で行われた「オノ・ヨーコさん90歳バースデイ・イベント」。
この日は、「アナログ天国」の赤川さんが進行役も兼ねて、ゲストの奥田さんと白木さんとともに、「ジョンとヨーコが同じステージに立ったライブを全て聴く」というコンセプトのもと、次々とアナログ盤をかけて、鑑賞する一夜となった。
キョンキョンこと小泉今日子さんもカバーしているヨーコの「女性上位万歳」(1973)が流れるなか、スタート。まずは「ロックンロール・サーカス」として知られる1968年のパフォーマンスから、「ヤー・ブルース」。ジョンが歌っているあいだ、ヨーコは袋に入っていた。「バギズム」だ。ジョンとヨーコ最初の二人一緒の音楽パフォーマンス。
次に「いつものヨーコ節」(白木さん)を聞くことができる「ホール・ロッタ・ヨーコ」。
白木さんが「堂々とやっているヨーコさん。キース(・リチャード)とか大物たちがいて・・・」と発言すると、すかさず奥田さんから、ヨーコさんはキースたちのことなんて「知らないから」関係ないでしょ、との反応が返された。
続けて、ジョンとヨーコの『「未完成」作品第2番:ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』(1969)から「ケンブリッジ1969」。この実験的なアルバムのジャケット裏には、ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンの「ノーコメント」というコメントがある。
「日本でいったい何枚売れたのだろう?」(奥田さん)、「日本では『トゥー・バージンズ』が出ていなかったので、これがジョンとヨーコの初めての作品。どういうプロモーションがされたのだろう?」というやり取りが交わされていた。
さらに『ライブ・ピース・イン・トロント 1969(平和の祈りをこめて)』(1969)からジョンが歌う「ディジー・ミス・リジー」とヨーコが歌う「ドント・ウォーリー・キョーコ」。
奥田さんは「邦題の『京子ちゃん心配しないで』からどんなに優しい子守唄かと思ったら、これだった」と苦笑。「フリーで、雄たけびで、金切り声で、気に入るかどうか人それぞれ。一番フリーキーでいいところ出ていたのがこれ」と白木さんは語った。
次に『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』(1972)収録の「コールド・ターキー」。1969年12月半ばの、ジョンのイギリスでの最後のライブとなるパフォーマンスだ。プラスティック・オノ・バンドに、ジョージ・ハリスン、ビリー・プレストンらが参加しており、「音の厚みが違う。よくこれだけのメンバーを集めた」(白木さん)。
さらにライブ録音のジョンがボーカルをとる「ウェル(ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー)」(『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』から)。フランク・ザッパの1971年6月のライブにジョンが飛び入り出演した時の録音だ。奥田さんは「ヨーコさんの合いの手がいい感じ。完全に楽器化してしまっていますね」。
ジョンとヨーコの最重要ライブともいえる1972年の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」のライブ盤『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』(1986年リリース)から「ハウンド・ドッグ」と「平和を我等に」の2曲をかけた。これが、ジョンとヨーコが二人一緒にステージに立った最後となる。
ジョンとヨーコが一緒のライブパフォーマンスのおさらいはこれでおしまい。そのあとは2人のデュエット曲から「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」。
イギリス軍がデモをしていた無抵抗の市民たちに発砲した1972年1月30日の、いわゆる「血の日曜日事件」を題材にした曲である。同時期にポール・マッカートニーもこの流血事件を受けて、「アイルランドに平和を」という作品を発表している。
「この“The luck of the Irish”というフレーズはもともとあるもので、“すごい幸運”という意味なのです。ゴールドラッシュの時代に、金鉱をやたらと掘り当てる人にアイルランド人が多かったことから、そういわれるようになったのです。しかし、そのフレーズをジョンは逆さまの意味で使いました」と奥田さんは解説した。
この日、ヨーコ関連のニュースが飛び込んできた。ヨーコ90歳の誕生日を祝して、ジョンとヨーコの息子ショーンが「ウィッシュ・ツリー(願かけの木)」サイトを立ち上げた。世界中の人々がオンラインで願い事を投稿し、森林を回復し、さまざまな生物の生息地を生み出し、地球規模で社会にポジティブなインパクトを与えることで環境支援を行う団体「One Tree Planted」と協力し、実際に木を世界各地に植樹する展開を行うもの。
ウィッシュ・ツリーへの投稿はウェブサイトから可能。投稿された願い事は、「Wish Tree for Yoko Ono」のサイトで公開される。
「ウィッシュ・ツリー」は1996年の開始以来、平和への願いや夢、メッセージを短冊に書いて枝に結びつけることができる観客参加型アート。35か国以上に設置された200以上の「ウィッシュ・ツリー」からおよそ200万件の願いが寄せられている。すべての願いが込められた短冊は、アイスランドの「イマジン・ピース・タワー」に永久保存されている。
ショーンはコメントした。「“9”は、母にとって、家族にとって、とても特別な数字なので、母の90歳の誕生日には何か特別なことをしなければと思ったんです。そこで私は、彼女が美術館やギャラリーで展開するウィッシュ・ツリーのバーチャル版を作りました。全世界の人々に、彼女のために願い事をして、彼女のために木を植える機会を提供したいと思ったのです。願い事をする、木を植える。ヨーコの誕生日を祝う。とてもシンプルなことです」。
ジョンの誕生日は10月9日。「Revolution 9」、「#9 Dream」(全米チャート9位)など曲のタイトルにも使用した数字の“9”。ジョンのラッキーナンバーだった。すでに「願い」を送った有名人には、リンゴ・スター、ジョンの最初の妻シンシアとの息子ジュリアン、エルトン・ジョンと夫デビッド・ファーニッシュ、オアシスのリアム・ギャラガー、ジョンとヨーコの「セックス」を撮ったことで知られる写真家のアニー・リーボヴィッツなどがいる。
ヨーコの音楽活動再評価を目指すプロジェクト「YOKO ONO REISSUE PROJECT」も進行中。1968年から1985年までにリリースされたスタジオ・アルバム11作に焦点を当てている。オリジナル・アナログ盤のパッケージを綿密に再現、未発表写真やアーカイブを掘り起こし、最新のリマスタリング、時代を超える魅力を放つ作品の決定版を世に問うもの。
2023年はいよいよ最後のフェーズとなる第4弾をリリース予定。年内発売予定は『ストーリー』(録音1974年、リリース1992年)、『シーズン・オブ・グラス』(1981年作品)、『イッツ・オールライト』(1982年作品)、『スターピース』(1985年作品)の4枚である。
文・桑原亘之介