カルチャー

【スピリチュアル・ビートルズ】 流れる時間と現在 ジョージ、ヨーコ、ポールのメッセージ

10168003280 (1) よく歳をとると時間が経つのが早く感じられるという人がいる。子どもの頃は一日があんなにも長かったではないか、と振り返ってみて思ったりする。時間の感じ方は、年齢を分母にとり時間を分子にとった分数で示せるという話を聞いたことがある。

 例えば、1歳の赤ん坊にとって一日は1/1の長さ、すなわち1という長さだが、50歳の人にとって一日は1/50の長さしかないというとらえ方である。この話を初めて聞いた時には、なるほどなあ、とうなずいたことを思い出す。

「ジョージ・ハリスン」(アラン・クレイソン著/プロデュース・センター出版局 刊)
「ジョージ・ハリスン」(アラン・クレイソン著/プロデュース・センター出版局 刊)

 時間についての考え方を歌った作品がジョージ・ハリスンにある。80年代初頭の「フライング・アワー」という歌だ。古き良き時代を振り返る人々もいるし、明日が今日よりよい日であるようにと願う人々もいる、それは素晴らしいことだ、でも「過去というのはもう過ぎ去ってしまったもの。未来というのは全く分からないもの。今現在(こそ)が流れる時間を良くしてくれる」(The past it is gone, the future may not be at all, the present improves the flying hour)とジョージは歌う。

 「今この瞬間こそが私が感じられる唯一のものだし、私にとってリアルな唯一のものである」(Right now is the one thing that I can feel, the one thing real to me)。

 今現在、この瞬間こそを大事にしようというメッセージソングだ。

 私はこれをジョージの作品のなかでも重要な一つだと思うのだが、81年発表のアルバム『想いは果てなく~母なるイングランド』(Somewhere in England)に収録される予定だった同曲は、他の数曲とともにワーナー・ブラザーズのモー・オースティン社長によってボツにされてしまったのだ(アラン・クレイソン著「ジョージ・ハリスン」プロデュース・センター出版局)。オースティンが求めたのはアップテンポの曲だったという。

 そのため「フライング・アワー」は今では聞くことが困難なレア曲となってしまった。

「今を生きる」(オノ・ヨーコ著/集英社インターナショナル 刊)
「今を生きる」(オノ・ヨーコ著/集英社インターナショナル 刊)

 一方、ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコには、そのものずばり「今を生きる」(集英社インターナショナル)という2014年の著作がある。「ヨーコがあなたへおくる100の至言」と帯に書かれた同書は、2009年からヨーコが日本の多くの人々とツイッターでやりとりした対話をまとめたものだ。

 第一章は「今を生きる」。その中にこういう質問がある。「私はいつも生き急いでいる感じがします。将来のことが不安で仕方なく、自分の好きなことよりもためになると思うことばかりに手を出してしまいますが、失敗ばかりで、疲れてしまいまいます。どうしたらいいでしょうか?」

 ヨーコは答えて言う。「将来がやってくるまで、どんな将来になるかはわかりません。そんなことでくよくよするのはよしましょう。あなたの今を大切にしましょう」、「ただただ生きていることをありがたく思って、いつもベストを尽くしましょう」。

「ホープ・フォー・ザ・フューチャー/ポール・マッカートニー」
「ホープ・フォー・ザ・フューチャー/ポール・マッカートニー」

 ポール・マッカートニーには2014年発表の「ホープ・フォー・ザ・フューチャー」という作品がある。「未来への希望」というタイトルのいかにもポールらしい楽天的な歌ではないかと一聴したところでは思うかもしれない。

 確かに次のようなくだりもある。「未来に希望を抱く人もいる。この先の日々が最高になると言ってくれる連絡(コール)を待っている人もいる」。

 同時に「時間についての処方箋」らしきものもポールは提示している。「全くの暗闇から私たちの未来が現れる。もし過去を置き去りに出来れば、私たちは太陽を超えて飛ぶことが出来る」というのである。要するに未来というものは今現在見えない、そして過去を振り切らなければ、先に「飛ぶ」ことが出来ないというのである。裏返せば、未来とは分からないこと、つまり今こそが大切だと言っているのではないか。

 私たちは、どうしても過ぎ去った過去を懐かしんだり後悔したり、まだ分からない先のことを期待したり心配したり、忙しくなりがちだ。しかし、今この瞬間にベストを尽くすべきではないかという点で、ジョージ、ヨーコ、ポールのメッセージの根っこは同じなのだ。

(文・桑原 亘之介)


桑原亘之介

kuwabara.konosuke

1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
 本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。