1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ米大統領がテキサス州ダラスで凶弾に倒れた。その悲劇によってアメリカ人の心に出来た空白に飛び込んできたのが、翌年2月に米国に上陸したビートルズだったとよくいわれる。そのビートルズに本当の意味で「終止符」を打ったのが、1980年12月8日のジョン・レノンの死であった。
その夜10時50分頃のこと、突如5発の銃声が鳴り響いた。ニューヨークのセントラルパークに面したダコタ・アパートの入口でのことだ。使われたのは米チャーター・アームズ社製の38口径の“リボルバー”として知られる回転式拳銃で、弾丸は、命中した際にダメージが大きく体内に留まるように先端部分が窪んだかたちに作られたダムダム弾あるいはホローポイント弾として知られるものだった。
その弾丸のうち4発がジョンに命中した。出血多量でほぼ即死状態だった。これもまた銃による悲劇であった。殺人犯はマーク・チャップマンというハワイから来た男で、拳銃はホノルル警察署近くのJ&Sエンタープライズという武器販売店で、169ドル(当時の為替レートで約3万8千円)で購入されたものだった。米スミス&ウェッソン社のプラスPという火薬量を増やし威力を高めた弾丸は、ジョージア州の友人から手に入れた(ジャック・ジョーンズ著「ジョン・レノンを殺した男」リブロポート)。
チャップマンはその場で、ダコタの警備員ホセに手をねじあげられて拳銃を落とされ、ホセはそれを足で蹴って遠ざけた。硝煙の匂いが漂う中、妻オノ・ヨーコはとっさに逃げ込んだ中庭から出てきた。狙撃後、何分かして警察の車が現場に到着し始めた。
66年に『リボルバー』というタイトルのアルバムを発表したビートルズ。ジョンは68年には「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」という歌も残している。この作品で彼は、「発砲したあとの銃の温かさ」を性的なニュアンスも持たせて歌ったのだが、そのジョン自身がリボルバーによる凶弾に倒れるとは思いもよらなかっただろう。
ジョンの死後半年経った81年6月、ヨーコは『シーズン・オブ・グラス』という作品を発表した。アルバムジャケットには、血塗られたジョンの眼鏡の写真が使われた。この作品には4発の銃声で始まる「ノー・ノー・ノー」という歌が収められている。
この写真は、2013年にヨーコによって短文投稿サイト「ツイッター」にも掲載された。写真に添えられた文章で、ジョンの死後にアメリカで銃による死者が105万7千人に上ることを指摘、銃による悲劇を減らしていき平和なアメリカを取り戻すため銃規制の強化を支援する考え方を示した。ヨーコの投稿は、2012年12月に米東部コネティカット州の小学校での銃乱射事件を受けて銃規制強化の必要を訴えていたバラク・オバマ米大統領のツイッター・アカウントでも転載された。
ヨーコは同時に映画監督のマイケル・ムーア氏にも銃暴力に反対する大衆運動を一緒に始めようと呼びかけた。ムーア氏は2002年のドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」で銃社会アメリカの病巣をえぐりだしたことで知られる。同映画は、高校生二人が彼ら自身の在籍する学校で10数名を殺傷した1999年のコロンバイン高校銃乱射事件を題材にとって銃社会アメリカをジャーナリスティックに考察し、世界的に大ヒットした。ムーア氏は銃社会が生まれる主な理由として、アメリカ合衆国が誕生する前後からの歴史、メディアによって拡散増幅されている「恐怖」を指摘した。
17世紀、英国からのメイフラワー号による清教徒(ピューリタン)たちによる移民は、インディアンとよばれた先住民らと敵対しながら勢力を伸ばした。特に19世紀後半の西部開拓時代は先住民などを制圧するために、開拓者たちは自ら武装するようになった。「フロンティア・スピリット」とか「アメリカン・ドリーム」という言いかたは、そういった血塗られた歴史の過程で生まれたことを忘れてはならない。
「武器保有の権利」を保障したとされる合衆国憲法修正第2条の根っこには、開拓者たちの「武装する権利」があったのだ。この修正は合衆国憲法が制定されてからわずか2年後の1791年に追加された条項で、銃規制反対派はこの法律を盾に主張を展開している。
もう一つ、銃社会の背景にあると指摘されるのがメディアによって増幅され続ける「恐怖」である。「アメリカは恐怖に踊る」(草思社)=原題「Culture of Fear: Why Americans are afraid of the wrong things」の著者バリー・グラスナー氏は次のように分析する。テレビを始めとしたニュース・メディアが、銃暴力を含む犯罪などを繰り返しセンセーショナルに報道することで、アメリカ人の間に「見当はずれな恐怖」と「度を越えた不安」を抱かせて、銃による武装などに走らせ、正当化させているというのだ。
グラスナー氏は第37代米大統領リチャード・ニクソンの言葉を引用した。「人は愛でなく恐怖で動くものだ。日曜学校では教えていないが、それが事実である」。
故ジョンとヨーコの84年発売の作品『ミルク・アンド・ハニー』には「ドント・ビー・アフレイド」という彼女の歌が収められている。「恐れるな」と歌い、「“あなたのサバイバル・キット”を手放しなさい」と促す内容だ。ここでいうサバイバル・キットとは、多くのアメリカ人が自衛のために備えている銃などのことではないだろうか。
「銃を持つ権利」を主張する共和党などの政治家、圧倒的な集票力と集金力を誇るロビー団体である全米ライフル協会(NRA)などの反発の中、オバマ大統領は、銃乱射事件が相次いでいる米国内で毎年3万人以上もの人々が銃による犠牲になっている状況にかんがみ、2016年1月に大統領権限による新たな銃規制を発表した。
ヨーコは、2015年12月8日、つまりジョンの35回目の命日に、475万人のフォロワーがいる彼女のツイッターに再び、血に染まったジョンの眼鏡の写真を投稿、彼の死後110万人もの人々が米国で銃によって犠牲になった事実を挙げて、銃規制の強化を支持する考えを改めて示したばかりである。
桑原亘之介
kuwabara.konosuke
1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。