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山村隆太「ロケ地で過ごした1カ月弱がなかったら、flumpoolが今作っている楽曲も変わっていた」 映画初出演を通して感じた変化【インタビュー】

-バンド以外の活動が音楽にも反映されるというのは、お芝居をやる意味の一つにもなるのでは? 良いルーティンだなと感じました。

 確かにそうとも言えますが、ものすごく大変(笑)。僕には、お芝居はできないと何度も思いましたし、だからこそ生きている実感が生まれたようにも思います。好きなことや得意なことばかりやっていると何の壁もないんですよ。でも、人や夢にぶつかることも大事だなと感じさせられました。

-なるほど。では本作も、お芝居や映画への思いがあってのご出演ではなく、この作品だからこそのご出演だったのですね。

 本当にそうです。ミュージシャン山村の生きてきた人生が淳也と何か接点があって、それが必要とされているならできる。僕たちはそういう存在でしかないと思っています。僕は、毎回、映画に呼んでもらうというレベルで演技ができないという自負がありますから(笑)。皆さん、僕とは別次元の世界でお芝居をされているので、「異物が欲しいならいけますが、きちんとした演技を求められているなら僕は違います」というスタンスです。それは今回、映画のお話をいただいたときも同じです。

-今回、お芝居をするにあたって、大谷健太郎監督とはどのようなお話をされましたか。

 監督からはとにかく「感情を見せないで」と言われていました。視線が動くだけでそこにある感情が生まれてしまうから、それも出さないで欲しいと。そうすることで、殻に閉じこもっていた淳也の変化が見えてくる。そのコントラストを強く描くためにも、「顔色一つ変えないでくれ」と監督は常に言われていました。

-難しいお芝居ですね。

 見せていないつもりでも自然と動いてしまいますからね。それくらいシビアに監督は淳也という役を作っていたので、彼の変化は明確に感じていただけるのではないかなと思います。

-最後に公開を楽しみにしている読者にメッセージをお願いします。

 音楽が引き立つ映画だと思っています。松下さんもピアニスト役を演じていますし、音楽が感情に訴えかけてくる物語になっていると思います。音楽は日頃、言葉にできなかったり、表情には出せなかったりするものを伝えられる、心と言葉の間にあるものだと僕は考えています。この作品をご覧になった方が、たとえ言葉にできなくても「命」に対して、何か心に残ればいいなと思います。里香と淳也と渓哉という3人がぶつかっていく物語ですが、人と人がぶつかるということは決して悲しいものではなく、すばらしいことなのだと教えてくれる映画だと思うので、ぜひたくさんの方に見ていただけたらうれしいです。

(取材・文・写真/嶋田真己)

 映画『風の奏の君へ』は6月7日から全国公開。

 

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