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中村雅俊「ちょっと同窓会に顔を出すようなつもりで今の3人の姿も見てほしいなと思います」『五十年目の俺たちの旅』【インタビュー】

 1975年に連続ドラマとして放送された「俺たちの旅」。その後も主人公たちの人生の節目ごとにスペシャルドラマが制作されてきた同シリーズの20年ぶりとなる続編『五十年目の俺たちの旅』が1月9日から全国公開される。70代を迎えたカースケこと津村浩介(中村雅俊)、大学時代の同級生のオメダこと神崎隆夫(田中健)、カースケの小学校の先輩であるグズ六こと熊沢伸六(秋野太作)。50年以上の付きあいとなった3人の今は…。主演兼映画初監督を務めた中村雅俊に話を聞いた。

中村雅俊 (C)エンタメOVO

-まず、今回の映画化への経緯から伺います。

 2年ほど前に(脚本の)鎌田敏夫さんから会おうというメールがきました。それでお会いしたら「映画をやろう」と言われて「監督もやれ」と。多分、鎌田さんが周りを見渡してみても、やれる人がいなかったんでしょう。結局残ったのが俺みたいな感じだったと思います。

-監督と主演の兼任はいかがでしたか。

 よくやったなあと思いますが、いろいろと振り返ると、もう少しできたんじゃないかという反省点は結構あります。でも、当たり前のことですが、ほとんどの決定権は監督が持っているので、そこの圧はありました。この決断はよかったのかという自問自答があっても、それでよしとしなければならないところもあって。そういう戦いみたいなものはありました。

-「五十年目の俺たちの旅」の意味をどのように考えますか。

 意味は、やはり「俺たちの旅」の存在のすごさです。これだけいろんな人が愛してくれて、長い間支持してくれて、長嶋(茂雄)監督じゃないですけど「永久に不滅」みたいなところがあるんだなと思って。今回、映画化の作業をしていく中で、改めて「俺たちの旅」を好きな人の多さを知って驚きました。その一つの例がコンサートです。すぐにチケットが売り切れて、追加公演までやって…。今さらながら「俺たちの旅」ってすごく愛されていたんだなと思いました。ただ、逆に責任を感じてプレッシャーにもなりました。映画化はいいけど内容はどうなんだという話もあったので。

-期待が大きいだけに…。

 でも、脚本の鎌田さんの方が難しかったと思います。だって、カースケの恋人の洋子(金沢碧)はストーリー上、もういないんですよ。それにオメダのお母さん(八千草薫)やワカメ(森川正太)や食堂のおやじさん(名古屋章)とか、この50年の間に亡くなった役者さんも多い中で脚本を作っていくのはすごく大変だったと思います。「俺たちの旅」は、基本的にはカースケ、オメダ、グズ六の3人を中心としたストーリーだけど、その輪郭を作ってくれるのは周りの人たちで、彼らのおかげで3人が引き立つのだけれど、そういう意味では今回は3人を語る人がいない。だから今回は鎌田さんとの打ち合わせの中で回想シーンを増やすことにしました。ファンの人も50年後の3人はどうなっているかという興味もあるけど、50年前に夢中になってドラマを見ていた時の自分や、俺ら3人の姿を懐かしく見てもいいんじゃないかと思って。それも回想を少しだけ見せるのではなく、一つのシーンとしてある程度の長さがあるものにしました。映像も皆さんが見やすいようにと昔のテレビサイズに合わせました。俺らの中ではあれで正解だったと思っています。

-今回の回想シーンでは「生きていくって楽しいものなんだよ。そう思わないか」とカースケが話すシーンが印象的でした。

 いくつかテーマはありますが、人生は楽しいだけじゃなくて、いろいろと挫折感を味わうこともある。生きていくって大変。そういう切なさみたいなのは50年前からあったので、そこは一貫していると思います。