多様性を尊重し、すべての人が輝ける社会をつくるために必要なこととは? 本特集では、ジェンダー平等の実現に向けた取り組みや、働く女性のインタビューを通して多様な働き方・生き方を紹介します。
今回は、4社にわたり、マーケティング業務に携わり、現在は株式会社NOVARCAの執行役員として活躍する神林珠希さんにお話を伺います。
【キャリア年表】
2005年 総合広告代理店に入社
自分の能力を試せるのは、エッセンシャルなもの以外を取り扱う業界だと感じ広告代理店に新卒入社
2009年 転職・上京。大きく成長
より大きな規模で成長したいと考え、東京にある同業の会社へ転職。マーケプランナーとして幅広い業務を経験
2017年 初めての事業会社に転職
事業に長期的にコミットしたいという思いで事業会社のブランドマネージャーに。自らの成長余地を知る
2019年 NOVARCAに入社
これまでのマーケティング業務の経験を生かしながら、新たなことにも挑戦できる環境だと感じマーケ局長として入社
小規模代理店に入社。ゼロから自分で考える習慣、競合からのリプレイスなど成功体験も。より大きな挑戦で上京
――まずはこれまでの経歴について教えていただけますか。
現在の会社が4社目となります。1、2社目は総合広告代理店で、合わせて13年間在籍しました。今振り返ると、営業、新規事業開発や経理などさまざまなことを経験しましたが、一番長く携わったのは、マーケティング業務です。3社目は、より長期的に企業やブランドの成長にコミットしたいという思いから事業会社に転職を決意。ジュエリーメーカーに入社しました。NY発祥のダイヤモンドブランドのブランドマネージャーとしてブランド戦略立案やプロモーションプランニング・実施、ブランドホルダーとの交渉などを担いましたが、ブランドマネージャーの仕事であるブランド価値の向上という仕事は、当時の自分が想定していた以上に幅広いもので、本質的にはブランドの経営ができなければ成り立たないということに気づきました。広告代理店でさまざまなクライアントとお仕事をしてそれなりに経験を得たつもりでしたが、まだまだ力不足であったということですね。ここでの経験を通して、改めて自分の専門領域を深く、広く、また経営視点も身につけなければと痛感し、再転職。これまでの延長線ではなく、+αで何か新しい学びがある企業を探していたところ、現在在籍している株式会社NOVARCAに出合いました。中国を中心にワールドワイドにマーケティング支援をしているところが、私にとっては新たな領域として魅力を感じた点です。
――時系列に沿ってお聞きしていきたいのですが、新卒で総合広告代理店を選ばれた理由は何ですか?
大学の友人の多くは東京に出て大手企業に入る中、大企業の歯車になるのは面白くないと思っていました。生活に欠かせないエッセンシャルなものではない仕事を選ぼうと就職活動をしていました。多くの人にとって必要不可欠と言える領域ではない仕事は、自分に何か抜きん出た能力や資質がないとご注文いただけない、だからこそスキルを伸ばすことができるのではないかと当時は考えていたからです。また、自分の力を試したいという考えで、大企業ではなく関西の小さな総合広告代理店に入りました。広告代理店に入社して広告の必要性も改めて正しく認識することになりましたし、どのような仕事にも正しい努力や能力が必要なことを理解しました。まだ若く、今思えば多分に世間知らずだったと思います(笑)
――ご入社されてからは、いかがでしたか?
ベリーハードでしたが(笑)非常に楽しく、いろんなことを経験させていただき感謝しています! 振り返ると、小さな会社が故に、頼めば誰かがやってくれるという環境ではなかったのが良かったです。お膳立てがされていないので、やりたいことは全て0から自分で考える・動く癖をキャリアのスタート時点で身に付けられたことが、今の自分の糧になっていると感じます。例えば、お客様にパンフレットをご提案したいという時に、受注前にデザイナーを使うということは許されていませんでした。自分で何かしらの素材を用意して、お客様にイメージしていただける提案書を作る必要がありました。逆を言うと、自発的に発言や行動をすれば、何でもやらせてもらえる環境でした。同期がどんどん辞めていく中で、私はやりがいを感じていました。
――手応えを感じた時はどんな時でしたか?
営業として働いていた時のことで、当時、売り物として一番収益の大きかった大手広告媒体の販売を担当していました。この媒体は収益が大きい分、競合代理店が沢山存在し、競合代理店も含めて毎期成績優秀者の表彰式が行われていました。つまり、優秀な代理店や営業担当が一目瞭然でわかるのです。そんな状況下だったので、とにかくしっかり結果を出したいと思っていた私は一目置いていた競合のエースが担当する企業に営業に行き次々とリプレイスしていきました。当時、企業の受付には訪問帳があったので、頻繁に対象のクライアントを訪問をし、競合が何曜日の何時に来るのかを把握。自分の競合が訪問する前に提案をし、競合が提案した後にも再訪問して自分の提案に足りない部分をヒアリング。次回訪問時までに全て改善して再提案ということを繰り返していました。何度も訪問を繰り返すその姿を営業先の社長が見て下さっていて、熱量を買ってもらい初受注。そこから勢いがつき、受注を重ねて自信が持てるようになったと同時に、もっと予算が大きい案件が飛び交う東京に出て、自分を試したいと思い始めました。