【連載 “人”が伝える高知の魅力】牧野博士と生きる 高知県立牧野植物園の人たち

 

 太平洋の大海原を望む高知県。背後には豊かな山と川が広がる。その魅力を、そこにいる“人”を通じてじっくり伝える連載インタビュー。第3弾は高知市東部・五台山の頂上付近にある高知県立牧野植物園から。NHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデル、植物分類学者・牧野富太郎の名前を冠した植物園で働く人たちに「牧野博士」について聞いた。

 ■牧野博士の業績を顕彰する植物園

 「植物についての魅力、富太郎についての魅力、高知の自然の魅力を感じ取ることができるところ」

 高知県立牧野植物園について広報班長の橋本渉さんが語る。高知市五台山の頂上付近にある、起伏を生かした約8ヘクタールの園地。バイカオウレンなど博士ゆかりの野生植物や園芸植物など3000種以上の草花が四季を彩る。

 「ゆくゆくの将来は、きっとこの家の標本館を中心に東大泉に一つの植物園を拵(こしら)えて見せよう、というのが妻の理想で私も大いに張り切り、いよいよ植物の採集にも熱中したのですが、これもとうとう妻の果敢(はか)ない夢となってしまいました」(『牧野富太郎自叙伝』引用)

 牧野博士が練馬区東大泉にマイホームを構えたのは64歳の年。しかし、その後わずか2年で、妻・壽衛(すえ)に先立たれた(享年54歳)。2人の夢だった植物園が高知県に設立されることが決定したのは、それから約30年後の1956年のこと。それを見届けるかのように、57年1月、94歳の生涯を閉じた。

 没後1年となる58年4月、博士の名前を冠した牧野植物園が開園。植物園が、植物学者を中心に据えることは珍しいケースで、園長の川原信夫さんは「それだけ牧野博士が植物に関して偉大な存在であるということの裏返しだ」と述べる。

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高知県立牧野植物園の正門(高知県立牧野植物園提供)
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広報班長の橋本渉さん

 

 ■手が掛かっているけれど手が入っていないように

 「幼少のころから植物が何より好きであった。そして家業は番頭任せで、毎日植物をもて遊んでこれが唯一の楽しみであった」(『牧野富太郎自叙伝』引用)

 牧野富太郎を「日本の植物学の父」にならしめたルーツは、故郷の自然にある。牧野植物園を訪れた人を最初に迎え入れるのは、高知の野生植物を一堂に概観できる「土佐の植物生態園」だ。入場ゲートよりも手前にあるため無料で観賞できる。

 「自然を学び舎とした牧野富太郎のもとを築いたのは土佐の豊かな自然。だからこそ、ここがメインエントランスになっているんだと私は考えています。皆さん、駆け足で早く受け付けに行きたがるんですが(笑)」

 樹木医の藤井聖子さんは草花活用支援専門員として園内の植栽を担当している。「親がどこに生えていて、種がどのようにこぼれて、雨の流れでどのように行ったか」。園地の地形を見極め、種からの「ストーリー」を考えて植栽し、お客さんから「切り口が見えないよう」に枝を剪定(せんてい)する。訪問者を夢の世界へ誘う某テーマパークさながらの演出だ。「一番手が掛かっているんですけれど、全く手が入ってないように見せる。それがこの土佐の植物生態園のこだわり。お客さんに、すごく自然だね、と言っていただくのが目標」

 「生きた図鑑」としての役割も重視している。見落としそうなくらいに小さな草花にまでラベルを付け、分布や類似種との見分け方、和名のうんちく、学名などを記している。

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土佐の植物生態園を紹介する樹木医の藤井聖子さん
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草花のラベル

 ■牧野博士の足跡と地道な挑戦、30万点集積された標本庫

 次女鶴代は、父の標本作りを次のように振り返る。

 「植物をとって帰って参りますと、その晩、しおれないうちに、すぐそれを、標本にこしらえるのです。ですから大抵、採集に行きましたその晩は、徹夜でございました。(中略)父の標本をつくっている姿は、今でも目につきますが、あざやかなものです」(『牧野富太郎自叙伝』引用)

 植物学の基礎資料となる標本を管理しているのが標本庫(ハーバリウム)。都立大学牧野標本館から寄贈された牧野博士の標本5500点をはじめ、国内外の標本30万点以上が収蔵されている。

 広報課長の藤川和美研究員は、学術標本は植物の「種の同定(特定)」や「DNAの抽出」、「果実の解剖」といった目的に使われると教えてくれた。作成手順は次の通りだ。採集した植物を押し葉にして乾燥させ、専用のテープで台紙に貼り付ける。こぼれた実や葉は台紙に付けたポケットに入れておく。その後、マイナス30度の冷凍庫に入れて殺虫処理。これにより「半永久的に保存」でき、平面化されるため収納性も向上する。最も重要なことは、正確なデータを記載することだ。「いつ、どこで、誰が採ったか。今はGPSも記載されている」。緯度経度が分かれば、同じ場所に再びアクセスして採集することもできる。

 牧野博士は研究に没頭するだけでなく、各地の植物同好会の招きで全国行脚した。ユーモラスな植物解説は人々を魅了し、多くのアマチュア研究員を生むことになる。こうした教育普及活動も、同園が掲げる柱の一つだ。

 牧野博士と同じ植物分類学者の藤川さんは、「まだ図鑑がない」というミャンマーの植物を研究している。「未知の国で植物を全て明らかにするという、やりがいがとてもある仕事。ただやはり、ミャンマーで牧野博士のような人を発掘する、人を育成することがしたい。われわれが新種を発見することがあるんですが、その国の人たちができるようになることが大切だと思っています」

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標本について説明する広報課長の藤川和美研究員(理学博士)
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牧野博士が採集した植物標本のラベル

 ■目録作成だけで30年、知識と情熱が詰まった牧野博士の書斎

 前出の次女鶴代は次のように証言する。

 「父の部屋は本でいっぱいで(中略)、たくさんの書物が散らかっているように見えますが、どこに何があるか本人はちゃんと覚えているのです。こうして寝ておりましても、どこの本棚の何段目の何冊目に何々があるからとってこいと、それはもう記憶がいいのです」(『牧野富太郎自叙伝』引用)

 牧野博士が集めた和漢洋の書籍数は4万5000点に上る。これらの蔵書は牧野家から高知県に寄贈され、同園内に「牧野文庫」が開設された。「目録の作成だけで30年かかった」と牧野文庫の司書である村上有美さんは言う。「書籍ノ博覧ヲ要ス」、一見すると植物学に関係なさそうなものでも読み漁るべきだと考えた博士は、各出版社の百科事典を買いそろえ、昆虫や動物の図鑑、江戸時代の本草学、食べ物の本、さらには植物の地方名を知るための方言の本、植物が詠まれた万葉集、聖書など、さまざまな角度から植物にアプローチした。

 「蔵書以外に牧野博士が書いた植物、研究で使っていたノート、手紙、いわゆる遺品類などを全て合わせると約6万点収蔵されています」。村上さんが、目録の中から特に注目するのは「約1700点ある植物図」だ。自分が「植物を覚えるため、植物の特徴を知るため」に、

 やがて「植物を伝えるのには絵で伝えるのが一番早い、一目瞭然」との考えから、「皆に伝えるため、情報としてわかりやすく見せるため」に描いたという。現在、牧野文庫の閲覧は学術研究向けに限られており、一般公開はされていない。

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牧野文庫を案内する文庫班長の村上有美さん
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牧野富太郎が描いた「シコクチャルメルソウ」(高知県立牧野植物園所蔵)

 ■牧野博士の遺志を継ぐ

 最後に、あなたにとって牧野博士とは何かを尋ねた。「多くの人に愛されて、一つのことに熱中して、それを日本中に伝えた人」と話すのは広報班長の橋本さん。同園の魅力を伝えるのが仕事なだけに、「博士と近いことができていることは非常に光栄」だとした。牧野富太郎プロジェクト推進専門員の小松加枝さんは、「偉大とか尊敬とかっていう言葉ではないですよね。牧野富太郎先生というのは家族のように横にいる感じ」。地球規模の課題解決に向けて「植物園の役割」の大きさを痛感しているとし、「1県に1園あってもいい」と訴えた。

 父親の葬儀中に同園の就職が内定したことを打ち明けてくれた樹木医の藤井さんは、「とんでもなく植物好きな親父。お父さんみたいな存在」。「さすがは土佐だけのことはあるという植物園にしてくれ」という博士の遺言を胸に、「一人でも植物好きが増えて、植物に関心を寄せて、植物が保全されるのが最終目標」と意気込んだ。

 「好きという気持ちを貫いた人。もし自分も好きなものを貫いたら、どんな風になるのかなと興味深い」と話すのは牧野文庫の村上さん。研究員の藤川さんは、「皆さん、尊敬するっていう言葉が出てくるんですけれども、それを超えてしまっていらっしゃって・・・。牧野博士の行ってきたことの、ごく一部でも何かできないか、というのは常に考えています」と博士の背中を追いかける。

 川原園長は「植物は人のために活用していくことも重要」という牧野博士の言葉を借り、5月にオープンした植物の応用研究のための研究棟「植物研究交流センター」で「基礎から応用にかけてワンストップで進めていく」とした。「第2、第3の牧野富太郎が現れること」。それが牧野植物園で働く人々の夢であり願いだ。

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牧野富太郎プロジェクト推進専門員の小松加枝さん
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川原信夫園長(薬学博士)