
日本国際問題研究所客員研究員
原油の中東依存95%
日本は原油輸入の中東への依存度が極めて高く、2022年度は約95%が中東からであった。国別では、21、22年ともにサウジアラビアが最多、次いでアラブ首長国連邦(UAE)が多く、両国だけで輸入量全体の約8割を占める。この傾向は、資源エネルギー庁によって石油統計が公表されている1988年から継続している。昨年(2023)は、エネルギー危機や空前の物価上昇を引き起こした第1次オイルショック発生から半世紀であった。こうした中、22年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、特定の国や地域に資源を依存することのリスクを再認識させる出来事となった。
政治→ビジネス主導
ウクライナ侵攻により、世界各国は外交戦略の練り直しを迫られたが、中でも、発足当初から「脱中東」「対中国シフト」を鮮明にしてきた米国バイデン政権は、ロシア・欧州フロントにも重点を置かざるを得なくなった。同時に、原油価格高騰によるエネルギー安全保障の観点から、豊富な石油資源を有する「中東、特に湾岸産油国」の重要性を再認識せざるを得なくなっていた。22年7月のバイデン大統領のサウジアラビア訪問はその証左であった。
近年の中東では、この米バイデン政権と湾岸産油国との民主主義、人権の価値観を巡る冷却化した関係、イラン核合意の再建の行方、イラク、アフガニスタン、イエメンにおける「テロとの闘い」、イランとイスラエルの核開発を巡る攻防など、さまざまな地政学的リスク要因が存在していた。
しかし、同時に、20年のイスラエルとUAE、バーレーンの国交正常化(アブラハム合意)に基づく中東経済圏の拡大や、23年3月10日の中国の仲介によるサウジアラビアとイランの外交関係正常化合意、サウジアラビアをはじめ湾岸諸国における「脱炭素社会の実現」(サウジビジョン2030など)の加速化、UAEによる23年の国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)第28回締約国会議(COP28)のホストなど、経済・ビジネス面の新たな動きが加速化していた。
国際秩序の鍵
ロシアのウクライナ侵攻により、地政学、エネルギー安全保障の観点で、中東各国(特にサウジアラビア、UAE、トルコ)の影響力が拡大し、中東が国際秩序、グローバル経済の行方の鍵を握っていると言っても過言ではなくなった。中東の地政学観点では、先述のサウジアラビアとイランの外交関係正常化合意を中国が仲介したことは、中国が中東で、一帯一路構想の実現のための「経済的」影響力のみならず、「政治的」影響力も有したことの証左であった。
バイデン政権にとっては、これまで圧倒的な軍事的・政治的影響力を有してきた中東を中国に明け渡すことは、米国の中東政策、ひいては外交政策全体に汚点を残すことにもなりかねない。01年の米中枢同時テロ後のアフガニスタン戦争、03年のイラク戦争で、米国は中東で大きな負の外交遺産を背負うことになり、米国民の厭戦(えんせん)ムードが高まる中、中東における米国の軍事的、政治的関与を、オバマ政権以降低減させてきた結果であった。
米の衰退と中国の躍進
以上のような経緯から、近年、アラブ諸国は、米国に依存しない自国の安全保障を真剣に模索していた。イスラエルとアラブ諸国でイラン包囲網を形成する動きがある一方、本音では、核開発を進めるイランを警戒していたサウジアラビアにとっては、イランとの緊張緩和を図ることで、イエメン内戦をはじめ地域情勢の安定化、自国の安全保障の強化につなげたいとの思惑があり、域内に「敵」をつくらないことを最優先した結果だった。
一方、イランにとっては、22年の米中間選挙の結果、下院で、イラン核合意に反対する共和党が勝利したことで、イラン核合意の再建、制裁解除の見通しが遠のく中、核合意を通じた米国との関係改善より、中国に手柄を持たせ、中国との経済関係強化による自国経済の回復を選択した結果であった。また、ウクライナを侵略するロシアへの無人機(ドローン)支援や国内のデモ弾圧で米欧などの非難を受ける中、サウジアラビアとの関係修復によって孤立を回避し、域内での自国の安全保障を強化する狙いもあったとみられていた。
ハマスの急襲で一変
このように、23年9月までは、中東は「対立」から「和解」へ、「政治」から「経済」へと向かっていたが、同年10月7日に発生した、パレスチナ自治区ガザを拠点とするイスラム組織ハマスによるイスラエルへの攻撃で、事態は一変した。この背景には、近年、国際社会、米国のみならず、同胞のアラブ諸国からもパレスチナ問題を放置されていたことが挙げられる。先述の20年8月のイスラエル・UAEのアブラハム合意も、パレスチナ問題の進展なしに実現したことに加え、23年に入り、イスラエルと、アラブ・イスラムの盟主であるサウジアラビアとの国交樹立に向けた動きが加速化していた。実際、ハマスの幹部は、イスラエル攻撃後、両国の関係正常化をけん制する声明を発出した。
この攻撃では、200人以上が人質となり、イスラエルはガザへの地上侵攻を、人質解放と合わせて実施しなければならず、イスラエル史上未曽有の事態となった。イスラエルのネタニヤフ首相は、今回のハマスの攻撃を未然に防げなかった責任を問われている。同首相にとっては長きにわたる政治生命を賭けた戦いであり、ハマスへの一切の妥協は許されない状況となっている。このように、イスラエルにもハマスにも、妥協の余地はなく、一時的な戦術の変更はあっても、戦争の長期化は不可避となっている。実際、戦争発生後約1年(今年9月現在)が経過したが、事態打開の見通しは立っていない。
中東の安定は日本の安定
国際社会では、今後のガザの統治のあり方について、すでにさまざまな提案(パレスチナ自治政府が統治すべき、イスラエルが安全保障に責任を持つべきーなど)がなされているが、当事者たるパレスチナ人の意思を尊重しながら議論を深めていかなければ、今回の惨劇が繰り返されることになるだけである。イスラエルとパレスチナ独立国家が共存する「二国家解決」への道は容易ではないが、国際社会が、イスラエルとパレスチナの交渉再開、パレスチナ問題の解決に向けて、継続的な関心を有し、粘り強く取り組むことが必要である。ロシアのウクライナ侵攻により、中東への原油依存度がさらに増すわが国にとっても、中東の安定は不可欠であり、特にこのパレスチナ問題の解決の重要性が再認識された。今後のガザ復興も含めた中東を巡る国際社会の動きに、わが国がこれまで実施してきたパレスチナ支援の強化も含め、積極的、主体的、具体的に関与していくべきである。
「点」から「面」へ
ハマスによる急襲を受け、多くのイスラエル人の人質を取られたネタニヤフ首相は、「大失態を犯した」として、イスラエル国民から厳しい批判にさらされているが、同首相はこの戦争を1948年のイスラエル独立戦争に続く「第2次独立戦争」と表現し、イスラエルをせん滅しようとする周辺勢力(イランおよびその代理勢力とされるレバノンの民兵組織ヒズボラ、イエメンの武装組織フーシ派)に攻撃を仕掛け、自ら政治的成果を得ようとしている。
その結果、この1年で、中東の構図は、イスラエルとハマスの間のパレスチナ問題を巡る「点」の戦争から、イスラエル対イラン・ヒズボラ・シーア派という「面」の戦争に移ったといえよう。今年4月のイランによるイスラエル攻撃(イスラエルの限定報復)、7月のイスラエルによるイエメンのフーシ派への攻撃は中東の歴史上、初めてのことであり、中東を巡る問題が新たな局面に移った証左でもある。
ハマス幹部暗殺
そのような中、5月のイランのライシ大統領の急逝に伴う7月のイラン大統領選では、改革派のペゼシュキアン氏が勝利し、中東に新たな風を吹き込むかと期待されたが、7月31日に首都テヘランで行われた同大統領の就任式で、ハマスの最高指導者ハニヤ氏が暗殺されたことで、4月と同様に、イランによるイスラエル報復がいつ行われるかが最大の焦点となっている。また、イスラエルが7月30日にレバノン首都ベイルートでヒズボラ司令官を殺害したことを受け、8月、ヒズボラはイスラエルへ300発以上のミサイル発射で報復した。9月に入ってイスラエルとヒズボラの報復合戦はさらに激しさを増し、イスラエルはレバノン南部への限定的地上侵攻に踏み切った。11月の米大統領選までにガザをはじめとした中東問題をなんとか鎮静化させたいバイデン政権は8月、イスラエルとハマスの仲介案を提示し、停戦交渉を再開させたが、進展はみられていない。
複雑な方程式
今後の中東情勢を見通す上で重要な要素として、①イスラエル(ネタニヤフ政権)と米新政権(トランプ氏、ハリス氏それぞれの場合)の関係とそれに基づくイスラエルの政策判断の自由度、②イランおよびその代理勢力(ヒズボラ、フーシ派、ハマス)の思惑と意図、③米国の中東への関与、影響の程度とそれに伴う中国、ロシアの中東地政学への介入度、④サウジアラビア、カタールなど湾岸諸国の積極的外交の程度ーが挙げられる。これらの複雑な方程式を解きほぐす必要があるが、今のところ、湾岸諸国のビジネスに影響は及んでいない。しかし、全当事者による計算ミスの連鎖が悲劇的な結末になる可能性があり、本音では当事者は対立の激化を望んでいないという楽観的な見立ては禁物である。
今後の中東ビジネスの展開を占う上で、イスラエルとサウジアラビアの国交正常化の可能性、イラン新大統領、アメリカ新大統領の下におけるイランの制裁解除の可能性については、注視しておく必要がある。
日本国際問題研究所客員研究員 中川 浩一(なかがわ・こういち) 1969年京都府生まれ。94年外務省入省。エジプトでアラビア語研修後、対パレスチナ日本政府代表事務所(ガザ)、イスラエル、米国、エジプトの日本大使館などで勤務。天皇陛下、首相のアラビア語通訳を務める。2020年外務省退職。著書に「総理通訳の外国語勉強法」(講談社)、「ガザ」、「中東危機がわかれば世界がわかる」(いずれも幻冬舎)など。
(Kyodo Weekly 2024年10月7日号より転載)