日本国内で行われている数多くの発掘調査の成果を国民に知らせ、埋蔵文化財の保護について理解を深める目的で文化庁が開催している「発掘された日本列島展」。今年で29回目だ。同展の図録の編集を担当した文化財調査官の大澤正吾さんが中身を詳しく解説してくれた。
遺跡から読み解く多様な歴史文化:オホーツク海沿岸・琉球列島
日本列島の歴史文化の多様さについて、遺跡を細かい視点で見ていくことで浮き彫りにしていく新企画。初年度には、北海道のオホーツク海沿岸の地域と琉球列島という日本列島の北端と南端を取り上げている。
●北海道のオホーツク海沿岸の歴史文化
縄文時代の後には農耕社会の弥生時代が始まった。これが日本列島全体の歴史だと思われてきたが、実は違う。北海道地域は、本州とは違った考古学系の文化の歩みをしてきた。「狩猟採集の文化」が本州よりも長く続いた北海道地域では、時代区分も異なる。続縄文(ぞくじょうもん)時代、オホーツク文化期、擦文(さつもん)時代、擦文とオホーツクが融合したトビニタイ文化期があって、これらが少しずつ並行しながら最後にアイヌ文化期へと移行していく。
今回注目したのは、アイヌ文化期以前まで人々が生活を続けていた竪穴建物だ。竪穴建物といえば、現在の地面からかなり下がったところから掘り込みが見えるのが一般的。しかし、北海道においては「竪穴建物の“くぼみ”が埋まり切らずに今でもそのまま残っている」という。
加えて、竪穴建物の時期が、調査を待たずに「あらかた時期が想定できる」のも面白いところだ。「竪穴建物のくぼみの形、住居の形が時期ごとで異なっている。縄文・縄文続時期は円形や楕円(だえん)形、オホーツク文化期は六角形や五角形で大型、擦文時代は四角形でカマドが取り付くのでカマドの痕跡がある。それらを手掛かりにして、どういう風にアイヌ文化期まで歩んでいくのかが研究されています。他ではなかなかない調査研究方法です」
●琉球列島の歴史文化 双方向的な交易の拠点と防御施設のグスク
奄美諸島や鹿児島県側の島々も、北海道と同じように、本州が農耕社会になっても農耕をしなかった。それが変化し始めたのが、9〜12世紀ごろ。農耕化と時期を同じにして、南北の双方向的な交易の拠点であったことがこの地域の大きな特徴だ。「この地域では、交易の拠点として大規模な集落が出てくる。交易の拠点となる遺跡には、北の本州から、あるいは逆の南の中国や沖縄といったさまざまな地域から、交易のために持ち運ばれた遺物が入ってきました」
交易が活発化してくると、それと共に防御的な施設も整えられていく。これがいわゆる“グスク”と呼ばれているものだ。「防御的なものが備えられていく11〜15世紀ぐらいまで」をこの地域では“グスク時代”と呼ぶ。
グスクのあり方にも双方向的な影響が見られる。本州の中世の山城の影響を受けて成立した「本州系グスク」と沖縄のグスクの影響が強い「沖縄系グスク」があり、沖縄系グスクのあり方は「琉球王国の版図と関わる」ともいわれている。「説明を聞いていて話が複雑だなと思われると思うんですが、この複雑さこそが、琉球列島の大きな特徴。いろんなところの影響を受けて、いろんなものがあるという点では一つにまとめられるが、それぞれの内容を見ると個々に異なっているんです」
北海道と同様に、写真で見るだけでも素晴らしい景観ばかりだ。「行ってみたいなと、一人でも多くの方が思っていただければ、私どもも遺跡も、地元の人もうれしいと思います」