カルチャー

【スピリチュアル・ビートルズ】 プーチン露大統領の「告白」 東西冷戦下のビートルズ

10487000842 ロシアのウラジミール・プーチン大統領が、ビートルズはソ連でも大変人気があったのだという「告白」をしたことがある。2003年5月24日、プーチンはクレムリンでポール・マッカートニーと会談、「ソビエト時代、ビートルズとは新鮮な空気を吸うようなものだった」と認めたのだ。当時、ソ連当局からは「ビートルズの音楽は、相容れないイデオロギーのプロパガンダ(propaganda of an alien ideology)とみなされていた」とプーチンは語った(BBC電子版)。

 今日のロシアの最高権力者プーチンは、西側諸国のロック音楽を退廃したものとみなしていた共産圏の親玉ともいえるソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)でKGB(国家保安委員会)のエージェントも務めたことがある。そんな人物による、一昔前ならば「裏切り者」とのレッテルを貼られて厳しく罰せられてもおかしくない「告白」であった。ビートルズは鉄のカーテンをも超えていたらしい。

 ポールとプーチンが会ったのは、ポールがロシアにおける初めてのコンサートをモスクワの赤の広場で行う直前だった。2004年6月にはプーチンの出身地サンクトペテルブルク(旧レニングラード)の宮殿広場で公演を開いた。

DVD『ポール・マッカートニー・イン・レッド・スクエア』
DVD『ポール・マッカートニー・イン・レッド・スクエア』

 作家で社会学者のアルテミィ・トロイツキー氏によれば、「ソビエト政府は最初、ビートルズがいかに“危険”なのか認識していなかった」という(DVD『ポール・マッカートニー・イン・レッド・スクエア』)。しかし、彼らは東西冷戦の深刻化に伴い、次第にビートルズの歌の「危険性」に気づいたのである。

 ビートルズなどの「敵性音楽」を聴くことは共産主義国家では禁じられた。しかし、若者たちは西側諸国のビートルマニアと同様にビートルズに夢中になっていた。ただし、アンダーグラウンドでこっそりと。夜中、米国風DJ音楽番組が人気だった短波放送ラジオ・ルクセンブルクに周波数を合わせてビートルズの曲を楽しむとか、ヤミ市場でレコードの売買が行われるなど、あくまでも非合法だったのである。

 他の共産主義諸国ではどうだったのか。例えば、チェコスロバキア社会主義共和国では1968年に「プラハの春」と呼ばれる民主化運動が、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構の戦車の侵攻によって踏みにじられた。その際に、人々の心の支えとなった歌がゲリラ的に広がっていたビートルズの「ヘイ・ジュード」だった(NHKアーカイブス電子版)。この名曲の「ジュード」をチェコの少女に置きかえ祖国への思いを込めたチェコ語の歌詞がつけられたものを国民的歌手マルタ・クビショバが歌ったのが、人々の間に広がったのである。マルタは、共産党政権の弾圧への抵抗のメッセージを込めて歌った。そのため歌手としての活動の場を取り上げられ、さまざまな迫害をうけることになった。

 ところで、共産主義諸国の権力者たちに例外的に「気に入られた」ビートルは、活発な平和運動、反体制的活動をしていた、グループ解散後のジョン・レノンだ。

 70年代初め、ソ連青年共産同盟の機関紙「コムソモーリスカヤ・プラウダ」でジョンが称賛されたのだ。「レノンは、(ビートルズの)成功がブルジョアに奉仕するものであることに気づき、歌をプラカードに代え、平和を訴え、ブルジョア権力との闘いに立ち上がっている。レノンこそ、平和を歌い、ブルジョア権力と闘う真の民衆歌手である」(香月利一著「P.S. アイ・ラブ・ビートルズ」講談社文庫)。

 確かにジョンは民衆歌手である。しかしソ連当局にはジョンの歌が、本来的には同国の共産主義にとって脅威であることに気づいてなかったようだ。

 共産圏の大半で表立ってビートルズが聴けるようになるには、ミハイル・ゴルバチョフの登場を待たねばならなかった。ゴルバチョフは85年3月にソ連共産党書記長に就任、滞っていたソ連の政治経済システムの抜本的改革を目指し、ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)、新思考外交を展開することになったからだ。

CD『バック・イン・ザ・USSR/ポール・マッカートニー』
CD『バック・イン・ザ・USSR/ポール・マッカートニー』

 80年代終わりまでにソ連でビートルズ関係のレコードが公式に発売された。例えば、88年のポールのロックンロール・カバー集『バック・イン・ザ・USSR』などである。

 一方、チェコスロバキアでは、89年のベルリンの壁崩壊に続いて、ビロード革命が始まり、ついには民主化勢力が実権を握ることになる。その際にこの無血革命のシンボルとして蘇ったのが「ヘイ・ジュード」であった。マルタも復権、この歌を公に歌ったのだ。

 かつて米国と戦ったベトナム社会主義共和国ではビートルズが人気で、特にベトナム反戦運動に熱心だったジョンはアイドル的存在だという(93年12月11日付朝日新聞)。社会主義共和制を採るキューバでは64年に米国でビートルマニアが誕生した後に、フィデル・カストロ国家評議会議長がビートルズ禁止令を出したのだが、96年には事実上解禁され、2000年にはカストロ自身がハバナ市内の公園で、ジョンの銅像の除幕式を行った。式典のBGMはビートルズの「愛こそはすべて」だった(ロイター通信)。

 中国語で「被頭四楽隊」といわれるビートルズ。中国本土では78年に始まった「改革開放」政策のおかげで、今ではベスト盤CD『ザ・ビートルズ1』などの彼らの作品が基本的に自由に聴けるという。当時の中国共産党の最高指導者の毛沢東主席を否定するような歌詞がある「レボリューション」(68年)も問題ないという。

 しかし、中国では今でも人権問題が深刻だ。英国から中国に97年に返還された香港では民主化運動が絶えず、当局との闘いが続いている。ビートルズは64年にコンサートを香港で開いたことがある。しかし今日、ポールやリンゴ・スターが中国で公演を行う可能性はあるだろうか? ポールやリンゴはロシアや東欧などの旧共産主義諸国でコンサートを行ってきたが、彼らが北京や上海にくることは考えにくいと私は思っている。

                              (文・桑原 亘之介)

桑原亘之介

kuwabara.konosuke

1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
 本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。