カルチャー

【スピリチュアル・ビートルズ】 リバプールの人々にバッシングされたリンゴ 故郷4部作にみる彼の想い

Sunset over waterfront towards Albert Dock, Liverpool, UK 2008年1月、リンゴ・スターは故郷リバプールがヨーロッパ文化首都(European Capital of Culture)に指定されたことを祝うイベントに出演した。パフォーマンスは大盛況だったが、その後に行われたジャーナリストとのやりとりで「リバプールを恋しく思うことは?」と聞かれ、ただ「別に」(er, no…)とリンゴはコメント、それがリバプールの一部の人々から猛反発を食らい、バッシングにまで発展してしまった。

『想い出のリヴァプール/リンゴ・スター』
『想い出のリヴァプール/リンゴ・スター』

 一説には演奏されたリンゴの新曲「想い出のリバプール」(Liverpool 8)の中の歌詞―「リバプールよ、俺は町を出て行った。でも決してお前をがっかりさせないよ」というのが一部のリバプール市民(Scousers)の反発を買ったともいう。

 その3か月後には、リバプール・サウス・パークウェイ駅にあるビートルズ4人の彫刻のうちリンゴの首が切り落とされてしまうという事件が起きた。

 リンゴは約3年後の2011年5月、英国ツアーを始めるにあたって謝罪に追い込まれた。「私は(傷ついた)人たちに謝ります、彼らがリバプールに、それ以外の場所でなくて、住んでいる限りにおいては」(I apologize to those people as long as they live in Liverpool, not outside.)と語った(2011年5月25日付BBC電子版)。

 問題とされた作品「想い出のリバプール」は、同名タイトルのアルバムの冒頭を飾っているが、そこでリンゴは、リバプール時代を振り返り、工場で働いていたこと、友達のローリーらとバトリンズ休暇村で演奏したことなどを回想している。そして、生まれてから6歳の頃まで育ったマドリン・ストリートや、次に移り住んだ隣の通りアドミラル・グローブに別れを告げたが、それは運命だったと歌った。この作品には、ビートルズのハンブルク巡業やアメリカのシェア・スタジアム公演での思い出も盛り込まれた。

 これは最新アルバムまで続いているリンゴの「リバプール4部作」の始まりだった。

 2010年のアルバム『ワイ・ノット』には「ジ・アザー・サイド・オブ・リバプール」という曲が収録されている。この作品では、リバプール時代の友人たち、デイブ、ブライアン、エディ、ロイに言及、「ロイ、もしもこの歌を聞いていたら、きみのしてくれたことにお礼を言いたい。きみとぼく、ちょうどロックンロールが生まれたころ、ぼくたちは工場で懸命に働いた」と友人ロイに語りかけるように歌った。

 この歌についてリンゴは語る。「ごく個人的な内容の曲で、実父はぼくが3歳の時に家を出て、母はバーでウエートレスをしていた」(ムック本「リンゴ・スター&ザ・ビートルズ」シンコーミュージック・エンタテイメント)。

 2012年発表の『リンゴ2012』というアルバムには「イン・リバプール」という作品が収められている。修理工見習いだった話など若かった頃を歌った曲である。「ティーンエイジャー時代がテーマで、学校に通っていた時の自分や他の男子のことから、バンドに加わって演奏していた頃の自分や女の子たちのことまで歌にした」とリンゴは言う。

 そして2015年のアルバム『ポストカーズ・フロム・パラダイス』のオープニングは「ロリー・アンド・ザ・ハリケーンズ」という作品だ。これはリンゴがビートルズ以前に加入していたバンド名である。彼は語っていた「自伝を書く代わりに、どのアルバムにもリバプールの曲を入れることにした。どのくらい続くかはわからないけれど」。

 リンゴは現在、ロサンゼルス、英国そしてモナコに家を持っているとされる。彼の生まれ故郷リバプールへの想いは、思わぬバッシングにも関わらず、強いものがある。それには疑いの余地はないだろう。

『センチメンタル・ジャーニー/リンゴ・スター』
『センチメンタル・ジャーニー/リンゴ・スター』

 リンゴが少年時代に住んでいたアドミラル・グローブのあるディングル地区はリバプールでも一番荒れた地域だった。彼は、その家の近くにあったエンプレス・パブの写真を1970年発表の初のソロアルバム『センチメンタル・ジャーニー』のジャケットに使ったこともあるぐらいだ。

 リンゴは言う。「ビートルズはリバプールにいて恵まれていたと思う。港町だし、ぼくの近所のみんなは商船員だったから、ほかの土地の誰よりも早くアメリカのレコードなどを手に入れることが出来た。ドゥーワップでも、ブルースでも、初期のロックンロールでも、カントリー・アンド・ウエスタンでも」。

 現在、リバプールは英国で3番目に多くの観光客が訪れる町である。ちなみに1位はロンドン、2位はエディンバラ。そして英国のランドマーク・リストでは、ビートルズがデビュー前から出演していたことで知られる地下のライブハウス「キャバーン・クラブ」が第9位にランクインした。1位はビッグベン、2位は国会議事堂。10位がバッキンガム宮殿だから、そのビートルズの聖地は、女王陛下の住まいよりも人気があることになる。

                            (文・桑原 亘之介)


桑原亘之介

kuwabara.konosuke

1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
 本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。