
-ご自宅でも絵の練習をされたそうですね。
台本が来るたびに絵を担当するチームとの打ち合わせがあり、練習用の絵が並んだ計算ドリルのようなプリントを数十枚いただくので、それを自宅に持ち帰り、宿題のように繰り返し描いて練習していました。
-歌麿は、心情的につらい場面も多かったですが、精神的な苦労はありませんでしたか。
つらい場面は多かったのですが、その分、友人も含めて多くの方が「歌麿は大変だよね。大丈夫?」といたわってくれました(笑)。苦しい場面も、それを表現する作業自体は楽しかったので、やりがいもありましたし。それはやっぱり、大変なことを楽しむことのできる「べらぼう」の世界観があったからだと思います。
-特に、最愛の妻・きよ(藤間爽子)が亡くなったとき(第38回)の歌麿が悲しむ姿は、強く印象に残っています。
きよが亡くなることはあらかじめ知っていましたが、あまりに早すぎたのと、それまで一緒のシーンがすごく切なく描かれていたので、台本を読みながら涙がこぼれるくらいショックでした。2人のシーンは多くなかったのですが、その分、一つ一つが濃密で、そこだけ抜き出しても一つの短篇になるのでは、というくらい丁寧に描かれていましたし。藤間さんも、口のきけないきよを、動きと表情だけで感情豊かに表現されていたので、ものすごく心を動かされ、亡くなるときは、本当に「行かないでくれ!」という気持ちになりました。
-きよが亡くなった後、歌麿がその姿を絵に描き続けるシーンは鬼気迫るものがありました。
きよの死を受け入れられず、絵に描き続ける歌麿を、蔦重が止めるシーンは流星くんと話し合いながら作ったので、とても印象に残っています。蔦重の指示できよの遺体が運び出された後、畳に残った跡に縋りつくお芝居は、台本にはなく、リハーサルで布団を取り除いたとき、ふと目に入り、思わず出てしまったものです。スタッフの皆さんが作り上げてくださったそういう表現も相まって、壮絶なシーンになりました。
-1年間歌麿を演じ切った経験は、ご自身の中でどんなものになりましたか。
すごく不思議な経験でした。演じる中で、今までにない感情が湧きあがってくることが多くて。歌麿は怒ったり、泣いたり、笑ったりと、忙しなく過ごしてきましたが、「怒り」といっても一言で「怒り」と言い切れない感情だったり、蔦重に対する愛情もどんな愛情なのか処理しきれなかったり…。それは、今まで感じたことがなかったもので、役者としても、一人の人間としても、とてもいい経験をさせていただきました。
-それでは最後に、視聴者へのお言葉をお願いします。
最終回も、「これぞ『べらぼう』!」という結末が待っています。蔦重が面白いものを世に送り出そうとする姿勢と、この「べらぼう」という大河ドラマが視聴者の皆さんの力になるものを送り出そうとする姿勢が、自分の中でリンクするような感じもあって。「べらぼう」自体も蔦重が作ったのでは…と思えるような、ある種の“たわけ感”や面白さが感じられると思います。ぜひ最後の最後まで楽しんでいただけたらうれしいです。

(取材・文/井上健一)









